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畠山直哉(はたけやま なおや)
岩手県陸前高田市出身。1984年筑波大学芸術研究科修士課程修了。大辻清司の影響で写真をはじめ、大学卒業後は東京に移り活動を続ける。生家の近くに大規模な石灰石鉱山があったことから、高校時代からこれらの採掘現場や工場を油絵などに描いていた。大学卒業後は岩手をはじめ日本各地を回り石灰石鉱山の現場や石灰工場、発破の瞬間、都会の建築群や地下水路など、多様な光景を撮影。
1997年、写真集「ライム・ワークス」および写真展「都市のマケット」により第22回木村伊兵衛写真賞を受賞。2001年、写真集「アンダーグラウンド」により第42回毎日芸術賞。2003年、日本写真協会年度賞。2011年、写真展「ナチュラル・ストーリーズ」により芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。


2012年9月に開催された第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展。日本館では、「ここに、建築は、可能か」をテーマに、東日本大震災の復興の一環として活動している「みんなの家」プロジェクトをリアルタイムでヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において展示、金獅子賞を受賞した。出展には、日本館コミッショナーを勤めた建築家の伊東豊雄氏をはじめ、建築家の乾久美子氏、藤本壮介氏、平田晃久氏が参加。そして写真家では畠山直哉氏が加わり、会場の壁全面に被災地、陸前高田のパノラマ写真を展開した。
ここでは畠山直哉氏にヴェネチア・ビエンナーレ建築展への参加の経緯と、写真家としての役割、そしてデジタルバック「IQ180」を用いて撮影した被災地のパノラマ写真の完成までのプロセスを聞いた。

●ヴェネチア・ビエンナーレにおけるパノラマ写真の展示

−−まず、今回の「ヴェネチア・ビエンナーレ2012国際建築展」に写真家として参加されたきっかけからお話願います。

畠山 日本館コミッショナーの建築家の伊東豊雄さんが、震災以降、仙台、釜石、気仙沼など東北各地に声をかけながら行っている一連のプロジェクトに、「みんなの家」というのがあります。これは仮設住宅など、ほとんど寝るところしかない場所に住んでいる皆さんが集えるリビングルームのような一軒の家を作ろうという活動です。

そこで、ヴェネチア・ビエンナーレにおいて、「ここに、建築は、可能か」 をテーマに日本館で「みんなの家」のコンセプト、活動内容を展示することになりました。伊東豊雄さんが3人の建築家、乾久美子さん、藤本壮介さん、平田晃久さんに声をかけ、4人目に写真家として私にお声がかかったということです。

私は陸前高田出身でして、震災直後から被災地である故郷を撮影しています。最初はその写真を会場に展示したいという依頼でした。その後、最初のプレス発表が2011年10月だったのですが、ヴェネチア・ビエンナーレまでの約1年、被災地の復興のプロセスを撮影できないかということになり、引き受けたわけです。それが最終的には壁の四方を取り囲むパノラマ写真になるのですが。

当初は日本館の前庭に「みんなの家」の1つのモデルを実際に建て、展覧会終了後、それを解体して運んで、被災地で実際に利用するという計画でした。ただそれですと、展覧会が終わるのが2012年11月ですので、それからでは被災地に実際に建てられるのが遅くなってしまうだろうということになり、そこで実際に陸前高田に「みんなの家」を建てつつ、その建設プロセスを展示することになりました。この8月7日に上棟式は行われたのですが、完成した「みんなの家」の写真をビエンナーレで展示することは時間的に間に合いませんでした。

−−日本館の展示は具体的にはどういった内容ですか?

畠山 日本館では、陸前高田に建てる「みんなの家」の設計のプロセスを模型などによって展示しました。実際に使う杉の丸太柱と同じものを陸前高田から運んで立てたり、あとはディスカッションや現場の模様を収めたビデオですね。それと、私が撮影していた被災直後の陸前高田の様子などもパノラマ写真以外にスライドショーで展示しました。

−−日本館の壁をぐるりと取り囲むように畠山さんのパノラマ写真を展示させるとのことですが、そのコンセプトはどういったところから生まれたのでしょうか? 「みんなの家」を取り巻く環境ということですか?

畠山 最初は復興のプロセスを写真にということでしたが、一口に復興と言っても実際には時間のかかる地道な作業であって、ダイナミックなものではありません。例えば仮設住宅の写真を撮って、それを復興のプロセスとして提示できるだろうか? 被災地の子供たちの笑顔の写真でいいのか? また、私がこれまで撮ってきた陸前高田の風景写真はありますが、それを展覧会のように並べても、日本館のコンセプトとはずれちゃう気がしまして。いろいろ考えた結果、伊東豊雄さんがパノラマ写真はどうかと提案されて、私もそれだったらやる価値があると思い、決まりました。四方の壁すべてを写真で囲む、つまりミューラル、壁画です。

−−なるほど。

畠山 しかし、どうやって高さ4.5メートル、幅60メートルの360度のパノラマを撮ればいいのか、といろいろ考えた結果、撮影機材関係でDNPフォトルシオさんに相談させてもらいました。

−−その時点で、撮影場所はある程度想定されていたのです?

畠山 ありましたね。1つは「みんなの家」の建設予定地から見た、何もなくなってしまった陸前高田の眺め。ただその場所だと背景が三面山になってしまうので、そこから少し平地に降りた場所をいくつか考え、最終的に瓦礫の丘から撮影した写真を選びました。ここは海や道路も見えるポイントなんですね。それから大事な点は、カメラの高さが津波の高さと同じだったことです。会場で実際に写真を見ると「自分の視点から下は津波で水没したのだ」ということがよく感じられます。

●具体的な撮影方法

−−撮影はどのように行われたのでしょうか?

畠山 カメラはPhase One 645DF、デジタルバックにIQ180を付けています。撮影にはパノラマ撮影専用のマンフロット社の雲台を用いました。これは回転角度の設定がクリックで簡単に行えます。私は360度を15度づつ撮っていきましたので、24カットですね。展示空間の天井高の関係で、空と地面をそれほど広く入れられないため、レンズは広角ではなく標準レンズを使いました。カメラは縦に設置して、長辺側を有効に使っています。撮影時はカット同士の重なり部分を3割〜4割取っています。そうしないと画像の合成が上手くいきません。

−−360度撮影する際は一気に撮るのですか?

畠山 問題は空ですね。雲は動いているので、一周する間に最初と最後のカットでは雲の位置が変わってつながらないことがあります。ですから1、2分で一周するくらいの速度でなるべく素早く撮ります。撮影は太陽が出ている時間から暗くなるまで撮影を行いましたが、最終的に太陽が山に沈んだ直後の時間帯で撮ったものを選びました。

−−露出やピントはどうされているのですか?

畠山 露出はマニュアルで固定です。ホワイトバランスも固定。スタートは、雲が少ない場所か、雲が流れてくる方向から撮りはじめます、回転して戻ってきたときに雲の形の変化が少ないので。中判カメラは被写界深度が深く取れるので、F11くらいで撮っています。露出の時間は今回は1/2秒くらいでした。

当初「青空に白い雲」のイメージも検討しました。晴れ晴れとしているけれど廃墟が拡がってぞっとするような、そういう両面の感覚を持った写真を考えましたが、夕方の写真を選んでよかったと思います。建物に当たっている光も夕方の方がいいです。

●デジタルが可能にしたパノラマ写真

−−これまでの作品は、発破の写真など自然と都市の関係性といったコンセプチュアルな写真が多かったと思いますが、今回パノラマを撮影されていかがでしたでしょうか?

畠山 慣れないことをやったという気持ちがあります。パノラマ写真は普段の私の活動の延長線上にはない、まったく違うものですから。これを自分の「作品」として位置づけているわけではありません。

−−あくまでヴェネチア・ビエンナーレ用の展示物の一環ですか。

畠山 そうですね、空間構成の素材の1つです。そのためにこの写真が必要だったということです。これはコミッショナーの考えでもあったし、他の3人の建築家の皆さんとの相互的な、一種のフュージョンみたいなものです。「みんなの家」自体、建築家の個人作品ではありませんから。今最善のことを全員で行った結果としての写真といっていいと思います。

−−ふだん陸前高田を6×7で撮影しているのとは違うわけですね。

畠山 場所の選び方や時間の選び方など、私個人のクセが出ますので、雰囲気とかは似ている面もありますけれど、違いますね。

−−畠山さんは基本的にブローニーで作品作りをされていますが、今回パノラマ作品を作るにあたり、デジタルベースの作業でした。やはりアナログでは今回の作品は難しいですか?

畠山 もし20年前に同じ依頼を受けたら、写真家はどうしただろうか? そう想像するのも難しくなってきました。たぶん手に入れられる最大サイズのフィルムを使って撮影はするんでしょう。中判フィルム用でしたが本体が回転する全周撮影カメラというのもありました。ただ、壁一面分(4.5×15メートル)の大きさの印画紙は存在しませんから、分割でロール紙に露光するでしょう。分割した短冊状のペーパー、例えば幅が1.1メートル×長さ4.5メートルとして、それを後で壁に貼ったときに、色や濃度の段差が生じないようにするためには、同時に何枚かを露出する必要があるかもしれません。

ということは、体育館並みの、かなり大きな暗室が必要になるでしょう。4.5メートルの長さのペーパーに一度に光を当てなければいけませんからね。そうやって1枚ずつ焼いてそれを例えば50枚貼り合わせたときに、上手く空の色がつながるかどうか…考えてみると、とんでもないことですよね。20年前はかなり難しいことだったんじゃないかと思います。今はPhotoshopなどの画像合成技術やインクジェットプリンタのおかげで、空も継ぎ目が分からないくらい自然に合わせることができますが。

−−4.5メートルの露光には建物自体かなりの高さが必要になりますね。

畠山 70年代の万博やその後の海洋博あたりで、巨大写真もどこかで作られていたはずなんですけれどね。ノウハウはどこかにあるのかもしれませんが、生易しいことではないでしょう。

私自身は以前、店舗用に銀塩で5×3メートルくらいのプリントは作ったことがあります。それも継ぎ足しで作りました。当時はオリジナルのフィルムから8×10のインターネガを作って伸ばしました。

−−今回のパノラマ写真ですが、伸ばしたときの解像度はフィルムよりIQ180の方が高いですか?

畠山 DNPフォトルシオさんの最初の計算ですと実際の展示プリントで解像度は100dpiは超えるだろうとのことでしたが、標準レンズで撮った撮影データにはリスク回避で天地など無駄な部分も必要でしたので、最終的な仕上がりでは60dpiでした。でも実物を見ると十分な感じがしました。いずれにせよ、現在のデジタル技術がなければ難しかったでしょうね。

−−打ち出しは大判プリンタですか?

畠山 ミマキのディスプレイ用のインクジェットプリンタです。

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受賞式の様子。金獅子賞のトロフィーを手にする伊東豊雄さん(写真左)(クリックで拡大)



現地の職人たちが、1枚ずつ丁寧にパノラマ写真を貼っていく(クリックで拡大)



メインの展示物である「みんなの家」の1/10のモデルの展示。ちなみに陸前高田で建築が進められている本物の「みんなの家」は2012年11月初旬の完成予定(クリックで拡大)



日本館の壁面に貼られた、畠山直哉氏による陸前高田のパノラマ写真。クリックすると横長の写真が別ウインドウで開きますので、スクロールしてご覧ください(クリックで拡大)






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