東京・外苑前にあるP.M.Ken氏のオフィスで話を伺った
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P.M.Ken
1990年フリーのフォトグラファーとして独立。1996年初個展。またこの頃よりMacとPhotoshoを駆使したデジタルによる合成写真に取り組み始める。以来その独特のスキルとアイデアで、写真の枠を越えた数多くのクリエイティブに携わる。2004年有限会社PML創設代表取締役。PMStudioを設ける。主な仕事に雑誌VOGUE、Harper's Bazaar、GQ、広告/カタログではNIKE、adidas、伊勢丹、PARCOなどがある。
http://www.pmken.com/
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取材協力:アドビ システムズ 株式会社
All images: ⓒ P.M.Ken
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Profile & Works
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▲マガジンハウス「POPEYE」(1997年)。初めて仕事として写真を合成して入稿した作品。当時はポジフィルムで撮影、スキャンして切り抜き合成していた(クリックで拡大) |
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▲マガジンハウス「POPEYE」(1999年)。その後、合成加工によるビジュアルがメインになっていく。純粋な写真という発想から、写真のテクスチャをしたイラストレーションというパラダイムシフトが起きた時期(クリックで拡大) |
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●大学時代のアルバイト
−−まず、写真家になられた経緯からお話ください。
P.M.Ken:そもそも僕は東京造形大学のインダストリアルデザイン専攻卒業で、写真ではありませんでした。大学入学で東京に出てきて、1年生のときからマガジンハウスの社員カメラマンのアシスタントのアルバイトをしていました。そのアルバイトは代々、先輩からの紹介で受け継がれていて、最初はバイト代が良いという理由で、何も分からない状態で連れて行かれました。一眼レフカメラに触ったことがあるくらいで、いきなり無理ですと言っても、1週間も現場にいれば大丈夫だからと言われて(笑)。
−−先輩からマガジンハウスのカメラマンのアシスタントを引き継いだのがきっかけですか。
P.M.Ken:そうですね。半分だまされたという感じで連れて行かれて、いきなりそういう雑誌の華々しい撮影現場を見て。でもそこで面白いなと思って、結局そこのアルバイトは学生の間ずっとやっていました。そこは学生を卒業するとアルバイトも卒業しなければいけないシステムだったんです。
−−撮影アシスタントは、具体的に何をしていたのですか。
P.M.Ken:デジタルがまだなかったので、フィルム交換やライティングなどです。
−−いわゆるスタジオマン的な仕事ですね。ロケものもあったのですか?
P.M.Ken:配属されたのがクロワッサンという雑誌だったので、ファッション撮影などはロケでした。ちなみにマガジンハウスでは一度配属されると他の編集部に転属できないんです。
−−クロワッサン専属ですね。
P.M.Ken:なんで僕はPOPEYEやBRUTUSじゃなかったのかって当時は思いましたが、逆にクロワッサンだったおかげで、インテリアから料理、ファッションまでジャンル的には全部網羅していたので、修行としてはすごくよかったですね。
−−アルバイトでは写真は撮らせてもらっていないのですか。
P.M.Ken:仕事では撮っていません。でも。現場で仕事できたので学校の勉強よりも詳しくなっちゃって(笑)。造形大はインダストリアルデザイン専攻でも写真の授業をとれるシステムだったので、学校でも写真の勉強をするようになりました。僕は卒業制作は写真で作ったんです。
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▲詳伝社「BOON」別冊BEAMS(2001年)。背景は店舗にて、モデルはスタジオで撮影。波は他のフォトグラファーから素材を譲ってもらう。絵のコンテから入り、撮影、合成の計画を立てていくスタイルが確立されてきた頃の作品(クリックで拡大)
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▲詳伝社「BOON」(2001年)。空撮写真3枚で合成。ただし写真はすべて借り物。高速道路はCGやAdobe Illustatorで描画。写真撮影なしで制作した作品(クリックで拡大)
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●卒業後はフリーのカメラマンとして活動
−−マガジンハウスの撮影現場のアシスタントは財産ですね。大学を卒業されてからはどうされたのですか。
P.M.Ken:著名カメラマンのアシスタントも考えたのですが、卒業後、4×5を触りたくて、数ヶ月広告写真事務所で手伝いをしていました。ただ、お固い撮影内容が自分に合わなかったので、長くは続けませんでした。
−−最初に覚えたのがクロワッサンの仕事だったので、雑誌やファッションなど華やかな世界で活躍したいという思いが強かったのですか。
P.M.Ken:たぶんそうですね。カメラマンは撮影という名目でいろいろな世界に入っていけるところに面白さを感じていました。
−−フリーになるといってもコネクションはあまりない状態ですよね。
P.M.Ken:そうだったのですけれど、マガジンハウス時代のフリーのライターさんから、おこぼれで仕事をもらっていました。いきなり華々しくカメラマンですという感じではなく、情報誌のラーメン屋さんの取材ページを1日かけて編集と一緒に歩き回ったりしていました。でもそういうのも面白くて、現場を知っているので直接アートディレクターに直談判に行って写真の見せ方の提案をしたりと、楽しんでやっていました。
−−学生時代の経験が大きなベースになっているのですね。雑誌の中でもトップクラスの撮影に関わってきたわけですからね。
P.M.Ken:ラッキーでした。
−−ご自分の写真とかはどうやって形成されていったのでしょうか。当時著名のカメラマンの影響を受けたというのはありましたか。
P.M.Ken:誰かの影響というのはないと思います。
−−さまざまな雑誌の取材をされたと言うことですが、マガジンハウスの仕事も受けていたのですか。
P.M.Ken:マガジンハウスは逆に、他で実績を積んでから戻りたいというのが僕の中にありまして、マガジンハウスは一旦卒業しました。当時は講談社の仕事とかを行っていましたね。
−−広告よりも雑誌系が多かったんですね。
P.M.Ken:雑誌がほとんどですね。コネクションが雑誌系の人たちだったので。
−−ちなみにフリーになられたばかりの頃は、写真の賞などには応募されなかったんですか。
P.M.Ken:いえ、僕あまり興味がなくて。自信がなかったことの裏返しなのかもしれないですけれど、全然興味がなかったというか、エントリーすらしたことがありません。
−−では、当時の目標というのは単純な話、マガジンハウスに返り咲く、そういった意識を持ちつつ活動されていたということですか。
P.M.Ken:その辺りは手探りといいますか、影響を受けた人がいない反面、こうなりたいというのもあまりないんです。それこそ、このまま写真やっていてよいのかという時期もありましたけれど。
−−当時からP.M.Kenさんならではの作風というのはありましたか。特に雑誌の取材ページだと、どうしても誌面や時間が限定されてしまうので、自分の持ち味がなかなか出しにくい状況だと思います。
P.M.Ken:今でも覚えているんですけれど、他のカメラマンさんと同じようにならないように、アートディレクターに直談判して、僕なりの撮影アイデアを必ず出すようにしていました。ラーメン屋さんの取材を1日5件とか回って、各店のマスターの写真は必ず全員歯を見せて笑っている、みたいな小さなこだわりを持ったり(笑)。
−−AD的な感覚ですね。
P.M.Ken:それは自分でも思いました。絵から入るというよりも、誌面全体の感じを見ています。
−−いわゆるデザイン系の大学を出られて、デザイン的な素養というのは写真にも活かせるようなところってありますか。
P.M.Ken:それは大きいと思います。特に雑誌と決まっていたら「ノドはどっち?」とかそこから入っていました(笑)。
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▲コンデナストジャパン「VOGUE NIPPON」(2003年)。Dior表参道ビルのオープンのためのタイアップ企画。特注の人形と背景セットは日本で、ドレスはパリにて撮影。パリから撮影済みを東京のスタッフにメールで先に送り、切り抜きの指示をしておき、帰国後合成作業をしていた(クリックで拡大)
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▲「SOULHEAD」CDジャケット(sony music entertainment)(2006年)。デビューからすべてのアートディレクションをさせていただいていた姉妹デュオ「SOULHEAD」のサードアルバムジャケット。この1カットでレイヤーは200近くに及ぶ(クリックで拡大)
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●境界が交差する「crosspoint」
−−「crosspoint」シリーズを始められたのは、基本的には個人作家の活動で始められたということですか。
P.M.Ken:そうですね。仕事とは関係なく。実は最近始めたプロジェクトで、第一作目の「Times Square,109」が2009年です。
−−3年前なのですね。
P.M.Ken:実はこれは仕事で頼まれたんです。とある洋服屋さんのブランドで、柄にクリエイターの作品をつけたシャツを作りたいからという依頼で作ったのが「Times Square,109」です。
−−2つの風景の合成というアイデアは、ふと思いつかれたのですか。
P.M.Ken:そのファッションブランドのデザイナーがもともとプロのスケートボーダーで、アメリカと日本を両方行き来するボーダレスな活動をしている人なんです。アメリカのストリートと日本のストリートが交差する交差点って面白くない? みたいなところからです。それが本当にコンセプトとなって、このシリーズを「crosspoint」と名づけています。建物がくっついてるのが面白いって感想をいただきますが、コンセプトとしては道路が交差するというところなんです。
−−なるほど、それで「crosspoint」の個展まで至るのですね。このシリーズはカラーでは難しいのですか。
P.M.Ken:やはりカラーですと差が如実に出てしまうので。できなくはないのでしょうけれど、これは存在しない世界をイメージしているだけなので、モノトーンで見た人がそこから先はイメージを補完したほうが広がりがあるのかなとも思います。
−−合成テクニック的にはPhotoshopの高度な機能を使われているのですか。
P.M.Ken:Photoshopのテクニックは、僕が個人的にずっと行ってきた方法ですね。「How to Photoshop」的な書籍も読んだことがあるのですけれど、自分が行いたい表現に関するテクニックにお目にかかったことがないので、どこから先がハイテクニックなのかは自分ではよく分からないです。
自分のできる範疇で作業していますが、実はめんどくさいことをいろいろ行っています(笑)。例えば「Times Square,109」ですが、写真の中の余計なものを消したり、場所を動かしたりはまったくしていなくて、2枚の写真の境界線でつないでいるだけなんです。ただその境界線なんですけれど、実はパーツごとに切っていたり、一度レイヤーにして上にして下にしてとか、テクニック的にはそういったことをかなりしています。
−−根気のいる作業なんですね。元の絵はかなり解像度の高い写真を使われているのですか。
P.M.Ken:いや、D3の撮影なので、1,200万画素くらいですか。
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