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太田拓実
1978年愛知県名古屋市生まれ 5歳から18歳まで宮城県仙台市に育つ。筑波大学第一学群人文学類中退。日本大学芸術学部写真学科卒業。東京アドデザイナース、阿野太一氏のアシスタントを経て、フリーランスとして独立。2005年度富士フォト新人賞受賞。
http://www.phota.jp
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取材協力:アドビ システムズ 株式会社 |
Profile & Works
▲梼原木橋ミュージアム(高知県)。設計:隈研吾建築都市設計事務所。傾斜地をつなぐ木造の橋であり、ギャラリーでもある。高さが必要なため高所作業車上から撮影している(クリックで拡大)
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▲sayama flat(埼玉県)。設計:長坂常 スキーマ建築計画。一時代前の典型的なアパートを、低コストでつながりのある空間に改装するプロジェクト。既存のモノを壊しきらずに残すことで、解体現場のような特殊な雰囲気と、単純なワンルームではない有用性を持たせている(クリックで拡大)
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▲tsubomi house(東京都)。設計:坂野由典 フラットハウス。実際に住んでいる様子も撮影することがある。住み手の使いこなし感と、空間設計者の意図がバランスするように撮りたいと思っている(クリックで拡大)
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●マイケル・ケンナの写真集を複写した高校時代
−−まず、写真に興味を持ったきっかけからお話ください。
太田:中学生の頃、家に父の一眼レフがあって、それで手近な物や近所の電車を撮ったりしていました。ボタンを押してレンズを動かしてたら、レンズがポロッと取れて青くなったとか、そういう感じで親しんでいきました。
高校生の頃に、クラスメイトが8,000円くらいした写真集を買って見せてくれたんです。それがマイケル・ケンナの「A TWENTY YEAR RETROSPECTIVE」でした。写真も本自体もかっこ良くて、欲しいなと思ったんです。マイケル・ケンナの被写体は風景ですが、自分が身近な場所を撮って真似ようと思ってもできないので、まずその写真集を複写したんです。
その頃暗室セットを大叔父から譲り受け、友人と暗室を組んだりしていました。また、高校にも休眠中の写真部があり、(マイケル・ケンナの)写真集を持っていた友人と入部して復活させたり、いろいろ結びついた感じでした。
私は宮城の仙台出身なのですが、当時は仙台にヨドバシカメラができたばかりで、フィルムと暗室用品を買いに、そこに足しげく通っていましたね(笑)。それと譲られた暗室セットと一緒に「ライフ写真年鑑」があり、撮影の方法から現像・プリントまで、参考にしていました。
−−もともと道具が好きで、そこにマイケル・ケンナの写真集と出合って、自己表現に目覚めたということですか?
太田:確かに道具は好きですね。そして、マイケル・ケンナのような写真を作りたいと思いました。あのように1枚1枚が喚起力のある写真を作りたいと感じました。
−−マイケル・ケンナのような写真を撮ろうと思ったら、当時でも一眼レフでは物足りなかったのではないですか。
太田:今思うとマイケル・ケンナはほとんどブローニーで撮っているんだと思います。当時は中判カメラの存在は知っていましたが、ビューカメラで撮っている人を見たこともありませんでした。それと写真はカメラをカメラバックに入れて撮りに行くだけでなく、暗室作業でいろいろできるんだなと思いました。
−−例えばマイケル・ケンナの写真集を複写して、それが現像の仕方によってかなり変わるという意味ですか。
太田:そうですね。写真集複写の頃は、覆い焼きや調色など、プリントの表面的な操作しか出来ませんでした。当時はパッケージに書いてある推奨現像意外があるなんて知りませんでしたけど、のちに日芸に編入してからは、良いネガを作るためのシビアな現像も教わりましたし、もっと本質的なファインプリントについて勉強することができました。
−−複写以外ではどういった被写体を撮っていたのですか。
太田:例えば友達のポートレートのような身近な被写体よりは、モノクロフィルムで風景を撮ったりしていました。でもマイケル・ケンナとのギャップに子供ながらにがっくり来てました(笑)。
●写真の道を決めた大学時代
−−筑波大学の人文学類に進学されましたが、大学時代も写真を撮っていたのですか。
太田:筑波大は、サークルや学生同士のグループの活動が盛んな、学生が何か行動するのにハードルが低い環境でした。それにみんな何かやりたいことを持っている感じでした。休学や留学も多かったですね。設備などの環境面も、サポートされているわけではないのですが、工夫次第で何とかなるというか、例えば芸術系や理系学部には暗室がありましたし、いわゆる写真部でなくとも写真の活動をしている人が結構いました。たとえば、そこで今デザインユニット「参(http://mileproject.jp/)」で活躍されている下山さんと知り合いました。下山さんは、見せ方にこだわる、かっこいい写真を撮られていましたね。なるほど見せるということは重要なんだなと思いました。
大学生なので旅行にもいきたいし、日常から離れた状況で撮った方が自分には向いているのではないかと思いました。それで国内や中国東北地方を旅行して、撮っては焼いていました。
私がいた人文学類は当時、就職するのにもあまり思い当たらないし、写真を本格的にやりたいなと考えていたときに、日芸の編入試験のことを友達から聞いて、やろうかなと思ったんです。
−−日芸では写真学科です。筑波大の文学部に見切りをつけて将来は写真だという舵取りをしたということですか。
太田:そうですね。写真が仕事につながるのではと漠然と思っていました。筑波大には3年間いて、日芸には2年生に編入し、3年間いました。
−−カメラマンになる道として、賞をとっていきなりプロになる方、または会社に入る方、スタジオマン、弟子入りなどいろいろですが、大学在学中の太田さんはどういう形で将来を考えていらっしゃったのですか。
太田:作品は作りたいとは考えていましたが、仕事もしたいと思っていました。作家活動もよいけれど、一流の広告写真というのは美しいので、これは写真をやっていく上で学ばないと写真を極められないと思いました。当時はまだまだポジでしたから、ポジで完璧に撮っているというはすごいことだなと。
−−基では広告写真も極めたいと。両面持っている人は多いですよね。
太田:僕の友人たちを見渡しても、ほとんどのカメラマンは、根っこで考えていることは同じようなところなんじゃないかなという気はします。
▲「Something to Touch」MILE(参)。輪島塗で仕上げられた、台座と本体が分離するスピーカーユニット。独立前に依頼されたこの作品撮影で、プロダクトデザインのための写真撮影のきっかけをつかむ(クリックで拡大)
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▲「cover it」柳原照弘。コップに緩衝材であるネットを半分被せると、一輪挿しの形状が生まれるプロダクト。スタジオではなく、柳原氏の設計したギャラリーの中で同じく柳原氏のパレット型家具を持ち込み、同じ世界観で撮影(クリックで拡大)
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▲「soyo shelf」小林幹也。壁際だけではなく、部屋の真ん中でも使うことを想定した本棚。風が通り抜けるようなイメージを具体化すべく、早朝の富士五湖に運び撮影した。2011年にカリモク家具株式会社から「HARU」シリーズの1つとして商品化された(クリックで拡大)
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●広告制作会社を経てフリーカメラマンに
−−日芸を卒業後は東京アドデザイナースに入られて広告写真のアシスタントを経て、2006年に独立とのことですが、その間の仕事と作品の活動についてお話しください。
太田:まず、卒業後に入社した東京アドデザイナースでは、2年間アシスタントでした。そこで自分でカメラマンとして仕事を仕切るまではいきませんでしたが、自分の中では満足感はあって、次にいかなければと思っていました。制作会社の仕事は何でもありで、風景撮影や屋外ロケから、家電、ジュエリー、飲料、料理などのスタジオワークまであって面白いとは思いましたけれども、自分でやっていくにはもっと絞り込みたいというような気もしたんですね。
スタジオワークは絶対できるようになりたいと思いましたけれど、風景写真がどうしてもやりたくて、そこにつながるような形で仕事にもっていくにはどうしたらいいのか考えて、建築写真にアプローチしていったんです。
−−実際、太田さんの仕事は、建築系やプロダクト系が多いですよね。それはご自分で望んでということですか。
太田:そうですね。最初、建築は風景に少し近いのではないかと思ったものの、やってみて違うと分かりました(笑)。プロダクトは、物は小さい頃から好きだったんでしょうね。カタログとかパッケージのかっこいい写真を撮れるようになりたいと思っていたので、スタジオワークを勉強できたのはよかったです。
デザインという意味では建築とプロダクトは非常に近くて、日本のメディアではそれにぴったり合致するものはないですけれど、海外のデザイン誌というのは物、家具、インテリア、建築も載っていてボーダーがないです。そういったデザイン行為全般を記録するのが仕事と考えています。
独立前に建築写真家の阿野太一さんに雇ってもらえたことが非常に意味がありました。阿野さんは空間デザインを突き詰めている若い建築家と多くの仕事をされていて、空間を撮ることを学ばせていただきました。
−−建築といっても外観と内装ではぜんぜん違いますね。建物の外観はライティングもなにも、太陽光一発ですよね。空間や内装の場合いろいろなアプローチがあると思うので、そこはどうされているのでしょうか。
太田:中と外両面合わせて建築なので、空間を設計したデザイナーがやったことはすべて撮りたいと思っています。ライティングは照明機材を持って行くわけではありませんけど、窓などの開口部を操作したり、もともと付いている照明を取捨選択したり、それこそ時間帯を選んだりするだけでいろいろなことができます。
空間写真の場合は、スタジオでのブツ撮りのようにすべての光を作ることはできません。ライティングするにしても「補う」程度の操作になります。例えば暗い部分に少し光を足したり、家具の裏にライトを仕込んだり、空間全体に比べたらほんの些細なことです。でもポジの頃はラチチュードの狭さもあってそういった作業にも大きな意味がありました。今は光源の多様化や段階露出による合成などもあって、カメラだけでできることが多いです。もちろん光は非常に重要で、そこで間違うと写真が成り立たないですが。
−−確かに光の扱い方に太田さんの写真の特徴を感じます。
太田:ライティングに関しては、極力シンプルにすることで、モノの本来の姿が出せるのではないかと思っています。それはフレーミングにしても同じことで、肉眼で見るのと違和感のない、自然な撮り方をしたいと思っています。たとえばいわゆる日の丸構図ですが、人間の視野がまさに見たいものを見ているときはそこにピントが合っているけれど、後ろの風景は漠然と感じている。そういう感じで写真を撮るのが一番良いのはないでしょうか。写真は1枚の力を高めていかないと意味がないと思っています。
−−太田さんの写真には、周辺が落ちている写真がありますが、広角だからということもあると思いますが、その辺はあえてそのままということですよね。
太田:周辺落ちはレンズ固有の現象なので、写真らしくていいなと思います。
−−ようするに、道具の特性も含めてそのまま表現するということですね。
太田:そうですね。古典技法のプリント、密着プリント、20×24インチの超大判ポラロイドなど、写真らしい写真への憧れがずっとありました。
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