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キヤノンが5D MarkⅡをリリースして以降、スチルカメラマンの間でムービー撮影への関心が高まってきている。時代も紙からWeb、デジタルサイネージへと動的コンテンツへのシフトが進み、もはやムービーは別世界の話ではなくなってきている。ではこれまでスチルのみで仕事をしてきたカメラマンにムービーは撮れるのだろうか。ここではスチルカメラマンでありながらムービーも手掛けている先駆的なカメラマンにご登場いただき、話を聞いていく。

第2回:大橋 仁


写真も映像ベースで理解していて、
それを止めているような部分があるのかもしれないです。






▲東京・世田谷区の大橋氏のオフィスにて

大橋 仁

1972年神奈川県相模原市生まれ。1992年第8回キヤノン写真新世紀/荒木経惟選・優秀賞受賞。個人作品集に写真集「目のまえのつづき」(青幻舎)刊行(1999年)、写真集「いま」(青幻舎)刊行(2005年)などがある。雑誌、広告などでスチル、ムービーを問わず印象的なイメージを発信し続けている。
http://www.ohashijin.com/




▲写真集「いま」(青幻舎)より (クリックで拡大)


▲写真集「いま」(青幻舎)より (クリックで拡大)


▲写真集「いま」(青幻舎)より (クリックで拡大)



●原点は荒木経惟と「写真時代」

−−まず、大橋さんが写真の道に入られたきっかけからお願いします。

大橋:20歳になるちょっと手前、19歳のときに荒木経惟さんに賞をもらったんです。そこからです。1992年ですね。

−−当時はグラフィックデザインを学ばれていましたよね。

大橋:グラフィックデザインの専門学校ですね。2年通って、デザイナーはほぼ「ないな」と思っていました(笑)。その在学中に写真新世紀で賞をいただきました。

−−もともと写真は好きだったのですか。

大橋:好きというよりもいろいろ手をつけていました。絵も描いていたし、生け花もやっていたんですよ。草月流で。

−−守備範囲が広いですね(笑)。

大橋:いや、親の知り合いが草月流のお師匠さんをされていて、面白そうだったからやってみようかと、特に深い理由ではないんです。カメラを持ってスペインやフランスに一人旅に行ったりもしました。

当時、自分は多分組織には向いていない、何か作りたいなという漠然とした気持ちだけだったんです。写真はそういった中の1つでした。昔「写真時代」というエロ本があったんですけど、それを小学校のときからずっと見てたんですよね。ですから荒木さんのことはよく知っていました(笑)。

−−荒木さんの写真の読者だったんですね。

大橋:僕は小学2年ぐらいから目覚めちゃって。友達よりはちょっと早かったぐらいだと思うんですけど。本当にそういうレベルでずっと荒木さんの写真は見ていたんですよね。高校生ぐらいになってようやく進路を考えはじめたときに、モノを作りたいというのから始まって、目に入ってくる情報の中で自分が素敵だと思えるものを見ていくと、荒木さんに突き当たっていくんです。街で見る写真とか本屋に並んでいる本の表紙とか。

それでどうやらあの親父はとんでもない才能というか、ものすごくきちっとモノを作っている人だったんじゃないかということに気づきはじめて。それがまさに高校生の頃ですよね。

−−荒木さんも全盛期の頃ですね。

大橋:一種のブームになっていましたよね。そこで、とにかく自分のいろいろな可能性を試したいというか、自分の立ち位置を知るために、荒木さんに写真を見てもらいたいと思ったのがスタートです。荒木さんは日本でナンバーワンの美の測定装置だと思っていたので、自分の写真を荒木さんにいいと言ってもらえれば、自分の考えている事はそんなに見当違いではないのではないかと考えていましたし、ダメなら他に行こうといった気持ちで写真新世紀に応募して、それがたまたま1回目から通ってと、そういう流れです。

−−カメラマンはスタジオマンを経験されているとか、どなたか師匠に付いてとかいう方も多いですよね。大橋さんはそうではなくて、本当に自分で撮ってみて写真新世紀で認められてと、わりとラッキーなスタートですよね。

大橋:うーん、そんなことはなくて、19歳で賞をもらって「これでいける」と思ったのでブックを持ってあちこち営業に行ったんです。今考えると見当違いな所ばかりに持ち込んでいたんですが、2年ぐらい一切仕事はこなかったです。しばらくアメリカの輸入業者のビデオの倉庫番とかやってましたから(笑)。

−−物撮りやポートレート、グラビアなど、商業写真の仕事はいろいろあると思いますが、大橋さんはやはり作家志向だったのですか。

大橋:作家志向かどうかは分かりませんが、ほとんど変わってないんですよね。10代の頃も今も、頭の中というかスタンスは。いただいた仕事をやらせていただき、作品も撮り続けるという感じです。

仕事が全然なくて倉庫番みたいなことをやっているときに、マガジンハウスの「自由時間」という本の編集部から電話がありアラーキーが選んだ若手十何人かのヌード特集をやる、荒木さんが推薦しているからやらないか? というお話をいただき、写真を載せてもらったんですよ。それを見た週刊誌の人が「大橋くんいいねえ。ちょっとハメ撮りやらないか」ということで、仕事をいただき、21~23歳の手前ぐらいまではほとんど袋とじのハメ撮りばかりでした。

−−大橋さんの作品には「エロ」が1つのテーマとしてありますよね。

大橋:ありますけど、「エロ」というよりも「人」なんですよね。なので、基本的に老若男女、人が撮れていれば僕的には満足なんですよね。それが裸か裸じゃないのかというだけの違いです。だから僕の中ではぜんぜんブレていなくて、その当時はハメ撮りだったけれども、塾など、教育機関の広告で一生懸命勉強している子供たちも撮りますみたいな感じで。同じなんですよね。

−−人間を撮るという意味では。

大橋:本当に僕の中ではまったく一緒です。だから人を撮れる仕事をいただいたことはすごく満足していたというか、うれしかったんです。

−−以前からブツはまったく撮らないのですか。

大橋:いや、撮りますよ。CMとかでシズルとかやりますから。


●ムービーを撮ることになったきっかけ

−−人物写真を撮っていく中で、2000年頃に映像の話がきたということですが、そのときは映像は未経験だったのですか。

大橋:まったく未経験です。

−−クライアントさんがなぜ大橋さんに映像を頼もうとしたのか、そのあたりのきっかけは覚えていらっしゃいますか。

大橋:はい、はっきりと。小日向しえちゃんというファッション業界の女の子を雑誌で撮らせてもらったんです。そのとき、マネージャーの方に名刺を渡したら「大橋って家族の写真集撮ってるあの大橋か」と言ってただいて。それから1カ月後ぐらいにいきなり電話がかかってきて、「お前、しえのPV撮れ」って(笑)。

−−強引ですね(笑)。

大橋:「お前動画撮れるよ、やってみろ。監督でカメラやれ」とかいきなり言われて。「オレやったことないですよ」「いいからやってみろ」、それでコンテも描けと言われました。コンテって普通小さい枠に描きますよね。でも僕は何も知らなかったので、スケッチブックに1ページずつ大きく紙芝居みたいにして描いたんですよね(笑)。そんなことやって「いいじゃねえか」とか言ってくれて始まったんですね。それでいきなりプロモーションビデオを撮らせてもらって。

そのときに一緒に制作してくれたのがスプーン(http://www.spoon-inc.co.jp/)だったんですよね。スプーンがまたものすごく親切で、「君、初めてで分かんないでしょ?」と、どうやったらいいかを手取り足取り全部教えてくれました。

−−それはよかったですね。

大橋:本当に助かりましたね。オフライン編集とかテレシネとか、基本的なことを教えていただきました。その時期にたまたま、映画の撮影の話をいただいたんです。僕はもともと映画(動画)にはすごく興味があったので、絶対やりたいと思っていたんですよね。ですから「はい、やらせてもらいます」と。

−−どんな映画だったんですか。

大橋:松竹にいる濱田樹石さんが監督で映画を撮るということでした。濱田さんは僕の「目のまえのつづき」という写真集をすごく気に入ってくれた方なんです。映画の撮影自体は16mmカメラで1カ月弱ぐらいの撮影でした。


●スチルとムービーの違い

−−スチルは時間を切り取りますが、映像は時間軸の中で撮っていきますね。そのへんに違和感はなかったですか。

大橋:映像を撮っているときと写真を撮っているときの感覚的な違いは、厳密にはもちろんあるんですけど、僕の脳みそはそんなに意識していないと思うんですね。

ひょっとしたら写真も映像ベースで理解していて、それを止めているような部分があるのかもしれないです。これは自分でもよく分かってないところなんですけど、でもどちらもあるんですよね。逆に写真をつなげて映像を考えているのかもしれないですし、どっちが先なのか分からないですけど。

当時映画の人にも「写真やってると分からないでしょう?」とかいろいろ言われたんですけど、「いや、全然そんなのもう。普通です」「言われるほど戸惑ってないです」みたいな。ずっとそういう感じだったんですよね。

−−今、写真と映像を両方手がけられていて、ご自分のアイデンティティはどちらにありますか。

大橋:もちろん、写真です。ただ、発想は、動いているものなのか、止まっているものなのかというのが自分の中で行ったり来たりしているのですが、一言で自分のアイデンティティといえば、写真でしかありません。

−−例えば人を撮る場合ですが、人は常に動いています。スチルで撮るときにはそこの一瞬を切り取りますが、映像は切り取らずにそのままずっと回しますよね。そこは表現として別物なのでしょうか。

大橋:別物だとは思わないですね。むしろ一緒だと思っています。

本当にテクニカルなことだけで、もちろん映像もそうなんですけど、写真は自分で露出を測って、ピントを合わせて、フィルムを巻き上げて、その瞬間に指を押さないといけないんですよね。カーンと入れないといけない。シャッターを切る、この「切る」ということが写真の一番のところです。一発一発がすごいコミュニケーションなんですよね、相手との。

−−映像なら撮っていけばそのままパッケージできるけれども、写真の場合はシャッターを切るタイミングによって、例えば単純な話、相手が目をつぶってしまったというような失敗も多い。

大橋:本当に自分の欲しい絵を、その1回で撮り逃してしまうんですよね。映像は撮りっぱなしでいけるので、ガバッと全部をつかめるんですけど、写真は本当にその0.何秒を1回撮り逃しただけでもう全部がパアになる。

だから、本当に一発勝負という面白さや、そこですべてが決定してしまうという、瞬間瞬間の感情のやり取りが写真の重要な部分なんだと思います。しかし、1コマの連続である動画には、1枚の画である写真にはない表現力があります。時間の連続性を極めて細かく描写できるという点です。結局は撮影する側が、現場で何を撮りたいか、どう撮りたいかという事につきてしまうのではないでしょうか。


−−これだと思った瞬間にシャッターを押すわけですから、そこで0.何秒遅れる、タイムラグがありますよね。

大橋:そうなんです。厳密にはいいと思った瞬間からもう遅れていますからね、指にいくまで。それが本当に撮りたかった表情なのかも実は分からない。出来上がったものを見て納得しているだけで、本当のものがどこにあったのかは、多分一生分からないのかな。

−−映像を撮るときも写真を撮るときも、フレーミングや露出などはまったく一緒なのですか。

大橋:基本同じですね。ただ、動いたりとか、ズームアウトしてズームインしたりとか、そういう振り込みとかあるので、本当にテクニカルなことになってくると若干変わってきます。でもそれもフレームの中で行われていることなので。

−−例えば写真だったら被写界深度を浅くしてボケさせられるけれども、映像だとそうはいかないとか、そういう違いもあるかと思います。

大橋:でも映像もフィルムカメラだとけっこうボケも出せます。HDとかであまり質が良くないカメラは、全部ピントがきてしまうとか、きやすいとかありますけどね。今までの撮影でも、そんなに後ろまでバリピンで欲しいとかいう話はあまりないです。フィルムの単玉レンズを使ったりとかして、ちょっとボケ味を大切にするイメージは多いですね。



▲写真集「目のまえのつづき」(青幻舎)より  (クリックで拡大)


▲写真集「目のまえのつづき」(青幻舎)より  (クリックで拡大)


▲写真集「目のまえのつづき」(青幻舎)より  (クリックで拡大)



●銀塩からデジタルへ

−−大橋さんも当然銀塩カメラをお使いだったと思いますが、デジタルカメラに切り替えたのはいつ頃ですか。

大橋:僕は2009年の10月がデジタルカメラの初仕事だったんですよ。まだ1年経っていないぐらいですね。

−−それはけっこう遅かったのですね。

大橋:2009年の夏に、デジタルカメラを使っていないために仕事を3つくらい連続で取り損ねたんですよ。それが悔しくて、デジタルカメラに変えないとまずいと思って。もちろん今も銀塩は使っているんですけど、デジタルカメラの導入はそれがきっかけになりました。

−−銀塩にこだわっていた、もしくはなかなかデジタルカメラに移行したくなかった理由は何ですか。

大橋:とりあえずフイルムが一番特性が分かっていたというか、実はなんにも分かっちゃいないんですが、まあ慣れですよね。正直、それまでデジタルカメラの特性を知った上でフィルムにこだわっていたわけでもなかったんです。ただフィルムの質感はすごく好きだったし、プリントも大好きだし、非常にやり慣れていたということですよね。

−−銀塩カメラは中判と35mm、メインはどちらをお使いでしたか。

大橋:両方です。4×5とかはあまり使っていなかったですね。頼まれて使ったくらいです。ペンタックスの67とかマミヤのRZとかで、35mmはキヤノンのF1やEOSとか、そんな感じですね。

−−今はデジタル化はだいぶ進みましたか。

大橋:今年、2010年の写真の仕事は9割以上デジタルです。もうほとんどフィルムの仕事はしていないくらいです。

−−本当に切り替わってしまいましたね。

大橋:切り替わっていますね。最初はデザイナーの方とかも、「フィルムでもデジタルでも大橋さんの好きなほうでいいですよ」とおっしゃっていただいたので、じゃあフィルムにしようかなーと思っていると、「やっぱりデジタルでいいですか」と(笑)。

−−後がラクですし(笑)。写真表現として、デジタルだから良くないという面はありますか。

大橋:もちろん、このフィルム、この印画紙、この焼き方、というのにこだわった写真の美しさは決定的にあると思います。それは仕上がりに対する写真家のこだわりだと思うのですが、ある像を捉えようとする撮影者のスタンスとしては、本来道具はなんでもかまわないはずだと思うんです。それぞれの良さ、それぞれの可能性は違う所にあると思うのですが。デジタルはダメでフィルムだからいいというような写真表現は今の自分の中にはありません。

−−表現が道具に依存しているということですよね。

大橋:フィルムだから、デジタルだから、というのは写真の内容の話じゃないですよね、写真は写っているものがすべてであり、撮影の瞬間がすべてだと思うんです。仕上がり、トーンの問題は結果に大きく関わってくるのは事実ですが、撮った後に写真に手を加えてあーしよう、こーしようと言うのは好きではありません。ですから、フィルムでもデジタルでもかまわないと自分は思っています。

−−デジタルカメラの場合、撮ってRAWデータを現像して、場合によってはレタッチしてという、いわゆるポストプロダクション的な要素が増えますね。それはどこまで行ってから納品されますか。

大橋:色調整と肌修正ぐらいですかね。細かく顔の輪郭を削ったりとかまではしないです。合成とかが簡単に、すごくきれいにできてしまうので、たまにやったりすることはあります。

−−そこから先がCMなどで必要な場合は、レタッチャーやデザイナーさんにお任せという感じでしょうか。

大橋:そうですね。

●カメラマンはムービーに向かうべきか

−−カメラマンは今後、映像も撮るべきなのでしょうか。5D MarkⅡなど映像が撮れるカメラが登場し、紙メディアからWebやデジタルサイネージといった動的メディアにシフトしつつあり、悩まれているカメラマンも多いと思います。

大橋:まず1つの答えとしては、僕は映像はやったほうがいいと思ってやっているんです。だからもし若い人から質問がきたら、「やったほうがいいんじゃない」と言います。結局は自分の精神の問題だと思うんですよ。どういう作品を作っていきたいのか、どういう方向で生きていきたいのか。そこにすべてが還るというか。

−−はい。

大橋:何で迷うのかというと、結局機材とか周りの環境に振り回されているだけなんですよね。ということは、自分さえその心棒がぶれていなければ、デジタルで撮影してもフィルムで撮っても、何の問題もないはずなんです。だから映像をやらなくてもいいし、映像をやってもいいし。本当にその人の心の持ち方次第というか。「どういうふうに生きようと思っているんですか」という、そのことだけだと思うんですよね。

−−なるほど。

大橋:だから何を迷ってるんだろうと逆に思っちゃうんですよね。

−−多分、今までの自分を捨てることに迷っているのではないでしょうか。もしくは、今まで自分が築いてきたものが捨てられなくなっていて、先の世界に出ていく勇気が持てないのではないでしょうか。

大橋:そこで築いてきたつもりになっているのが逆にすごいと思うんですよね。僕は本当にまったく築けていないので。今の自分自身もどうやって築こうかと思っているから、逆に失うものがないんですよ。だから何でも取り込みたいし。

ただ異常な面倒くさがりなので、3回も仕事が取れなかったとか追い詰められないとデジタル化なんてしたくもなかったんです。そしたら本気で追い詰められて、もう食えないと思ったので大枚をはたいて、清水の舞台から飛び降りてやったんです。

何かしたつもりには到底なれない。どうやって次の写真集を出そうかとか思っているだけなので、そのためにはお金は必要だし、写真も撮らなきゃいけないし、仕事もしたいしという、そこですよね。

−−むしろ身動きできなくなっているのかなという気もしますね。大橋さんもなかなか銀塩を捨てられず、約1年前に切り替えたというタイミングがあったわけですよね。銀塩にこだわっていた時期、周りがデジタル化していく中で焦りなどはありましたか。

大橋:それが全然なかったんですね。仕事はちょくちょくきてるし、周りはデジタル化してるけど「関係ないね」とかぐらいな。ちょっと怯えながらも(笑)。ちょっとドキドキしながらも、いけるとこまでいっちゃおうかなみたいな。


●5D MarkⅡを使ってみて

−−今はデジカメと映像用のカメラは何をお使いですか。

大橋:デジカメは、スチルのほうがニコンのD3X、中判サイズがフェーズワンのP45をマミヤに付けています。動画に関してはムービーカメラはその現場によっていろいろなものを使います。

−−5Dがこの企画のきっかけになっているんですけども、いわゆるデジタル一眼がムービー機能も持つようになり、実際にテレビでも5D MarkⅡで撮ったようなコンテンツが流れてきています。ああいうデジタルカメラ系のムービーカメラはどう思いますか。

大橋:実はつい2日ぐらい前も7DでCMを撮りました。あとこの前、1日中遊園地で遊んでいる子供を5D MarkⅡで撮ったんです。モニタはちょっと大きいのを上にくっ付けて。それで操作すれば、すごいローアングルでも手持ちでできるんですよね。走って追いかけられるんです。とんでもない機動性なんですよ。35を持ってローアングルで1日中子供を追いかけるなんて不可能なんですけど、5D MarkⅡは単玉のズームレンズとかでグリグリやりながら追いかけられるので、ピントがくるんですよ。自分が今まで使い慣れていたフォーマットというか、馴染むし。だから5D MarkⅡは僕はやりやすかったですね。

−−新しい撮影装置として、そこに1つの可能性があるわけですね。

大橋:いろいろなことを僕はよく分かっていないんですけど、自分にとっては全然使えるというか。

しかも特機が入ったりとかせずに自分1人で撮れるし、なにせ機動力がいいですね。持って全力で走れるというか。もちろんぶれますけど。あとは動画なのに長時間撮れる。あれはある意味で5Dとか7Dのすごいところなのかなと思います。


−−今コンシューマー系のコンパクトデジカメでも、例えば夏にはCyberShotのCM映像もテレビで流れていましたからね。

大橋:あのCMは僕が撮ったんですよ。北川景子ちゃんが撮っているやつ。

−−そうだったんですか(笑)。

大橋:やっぱり衝撃でしたよね。こんなでっかい三脚の上にこんなちっちゃいCyberShotが載っているんですよ。こんな小さなカメラでCM撮りはじめるの!? みたいな、そういう感じですよね。

−−HDで撮れるのですよね。

大橋:そう、フルハイビジョンです。

−−あれは大したもんですよね。

大橋:いや、すごいですよ。本当に(笑)。しかも2万いくらのカメラですからね、2万いくらでCM撮るんですかみたいな。もう何が起こっても不思議じゃないという状況ですよね。




ロバート・フランクとの出会い

−−スチルカメラマンが映像を撮るのはある意味領域侵犯かもしれません。餅屋は餅屋という風には考えませんか。

大橋:ロバート・フランクという写真家がいるじゃないですか。写真新世紀で、賞を獲った人が参加できる彼のワークショップがあったんですね。それに僕が21歳ぐらいのときに参加させてもらいました。

そこで、ロバート・フランクが僕たちに「この中でムービーをやっている人」と最初にいきなり聞いたんですね。そこには15名ぐらいいたんですけど、誰も手を上げなかったんです。そしたら完全に、もう蔑みというか、せせら笑いながら「純粋だねえ」って言ったんですよ。バカにしきっていましたね。本気でお前ら文化低いなみたいな。

−−ああ、なるほど。

大橋:バーカって感じでしたね。それを見て衝撃だったんですよ。写真やってるヤツは映像やるし、映像やってるヤツは写真やるし。お前らそんなことも知らねえのか?!みたいな。本当ににっこり笑いながら「純粋だねえ」って言われたんです。そのとき「おお」とは思ったんですけど。

−−目からうろこが落ちる状態ですね。

大橋:結局心の置きどころなんですよね。映像だろうが写真だろうが、CyberShotだろうが写ルンですだろうが、関係ない。撮り手の心構え次第という。撮るんだったら手段を選ぶなみたいな。そういうことをロバート・フランクは何十年も前から実践してきていたんです。

−−目の前の小さな装置にこだわっているのはバカみたいという感じですよね。

大橋:カメラが違ったら撮れねえのかよと、ロバートフランクに言われているような感じがしたんです。

−−21歳のときにそのロバート・フランクの言葉を聞いたから、後々映像に入りやすかったというのもあったのでしょうね。

大橋:ものすごく大きかったと思いますね。ロバート・フランクとの出会いは本当にすごかったです。変えてもらった部分はあります。でも実は僕、会うまでロバート・フランクを知らなかったんですよね。

−−そうなんですか(笑)。

大橋:なんかすごい人らしい、ぐらいな。でも会った瞬間にちょっと様子がおかしかったんです。普通にたたずんでいるだけですけど殺気立っているし、老人なのに年老いた鬼みたいな、1匹の鬼がいるような感じですよね。優しい雰囲気は一切出ていなかったです。本当に殺気が満ち溢れていたし。何をやり始めるんだろうとドキドキしましたね。本当にすごい人でした。

−−ありがとうございました。



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