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今、プロのフォトグラファーたちは何を考えているのだろう。そしてどこに向かっているのだろう。そんな素朴な疑問から、第一線で活躍されているフォトグラファー、湯浅立志氏とヤギシタヨシカズ氏のお二人に対談をお願いした。写真ビジネスの現状、Web、デジタルサイネージ、電子出版など新しいメディアの状況、カメラやソフトなど道具に対する思い、そして若手へのメッセージなど、多岐に渡る話題を時間の許す限り語り合っていただいた。ロング対談となったが、あまり手を加えず、ほぼそのままの形で掲載する。

湯浅立志:1961年、群馬県生まれ。東京写真専門学校卒業後、広告写真スタジオの社員カメラマンとして15年勤務。独立後は雑誌、広告、Web媒体でモデル撮影から商品撮影まで幅広く活動。有限会社Y2代表取締役。日本広告写真家協会(APA)会員。
http://homepage3.nifty.com/y2/
ヤギシタヨシカズ:1971年、埼玉県生まれ。TV-CM中心のポストプロダクション退社後、フォトグラファーアシスタントを経て1998年よりフリー。2000年よりフォトグラファーと並行してCM制作、ゲーム映像制作などに携わる。現在はフォトグラファー、ディレクター、撮影監督として活動。日本映画撮影監督協会正会員。
http://www.yagishita.org/

●それぞれの写真へのアプローチ

−−ではメインテーマに入る前に、お二人の現在にいたる経歴を簡単に振り返っていただけますか。

湯浅:僕は群馬出身です。写真は中学校ぐらいで始めて、高校のときに一眼レフを買ってもらってそこからどっぷりになりました。僕はあまり団体生活ができない人間なので、写真部には入らずに1人で撮ってました。

当時、石油ショックなどいろいろあって親父が経営していた建設会社が倒産して、高校時代に大学に行かない選択をしたんですね。僕は長男だったので、本来ならば家業を継ぐはずだったのですけど、その道がなくなり、どうせだったら好きな道に進みたいなと写真を選んだのです。

でも写真の道といっても、田舎だったので情報がほとんどなくて、卒業写真などを撮るカメラマンか、ベトナム戦争に行くか、新聞社のカメラマン、そして篠山紀信か、その4つしか僕は知らなかったんですね。

いずれもとてもじゃないけどなれそうもない、でも、現像プリントなどの仕事だったらできるかなと考え、とりあえず東京の写真専門学校に入学しました。そこでカメラマンはさっきの4つ以外にもあるんだと知りました。

僕は、例えばファミレスのメニュー見ても、当時は写真だと思っていなかった。何だと言われりゃ写真なんだけど、写真という意識がなかった。今でも多くの人はそんな意識なくメニューを見ていると思います。そこで、写真って実はいろいろなところにあるんだと気がつきました。本屋に並んでる雑誌の表紙なども全部写真です。

そのうち写真学校の頃に、ひょっとしたらどこか潜り込めたりするのかなって気がしてきました。ただ、家にはお金がなかったのでバイトしなければならなくて、昼間部の授業に通って、それが終わってから先生に紹介してもらった写真スタジオのバイトをしてと、学生時代から働いていました。そこが広告の写真スタジオだったので、卒業後も就職活動も何もせずそのまま入っちゃったんです。それでその会社に15年ぐらい、35歳まで勤めました。

だからカメラマンにはなったけど、もともとはカメラマンになりたいっていう意識は実はあまり強くなかったんですね。

−−最初はスタジオマンをやって、その後専属カメラマンというかたちですね。

湯浅:その時期には結婚もしましたし、家を買って普通の会社員として平々凡々と生きていくのかなというぐらいのノリだったんですよ。その後景気が悪くなってきて、ある日社長から、この先給料は上がらないからと言われたんです。

妻は写真大学を出ていて、結婚後スタイリストとしてフリーになっていたんですね。それで、僕が会社の状況を彼女に話したら、「辞めちゃえばいいじゃない。そのくらいバイトしたって稼げるんじゃないの?」って言われて、妻はすごく気風がいい女なんですよね。そこで会社を辞めることにしました。

僕が会社を辞める前に、その親会社の印刷会社が倒産したんです。そんなタイミングもあって、その親会社経由のクライアントさんのカタログ撮影の仕事を直にいただくことができたんですね。普通だったら絶対お付き合いできないような会社と最初からお付き合いができて、ものすごくラッキーでした。そこである程度の収入が確保できたので、フリーとしてのスタートは非常に順調でしたね。

−−それが35歳の頃ですね。ちなみに湯浅さんは基本的にはスタジオ時代から物撮り中心ですか。

湯浅:会社員時代は会社がスタジオを持っていたので、物撮りが多かったです。でもモデル撮影もあって、それは僕が多く担当するような感じでした。僕は両方ともなんとなくできるみたいな感じのカメラマンでした。当時のクライアントは堅い会社ばかりでしたね。著名な花屋や靴屋、瀬戸物屋さんのカタログとか、そういうもの中心でした。

−−ライティングのスキルなどは会社員時代に身に付けたんですか。

湯浅:そうですね。もう亡くなられた写真家の藤井秀樹さんが会社の役員だったんです。それでよく作品撮りなどの藤井先生の仕事はアシスタントさんと同じようにお手伝いさせていただきましたね。

−−では、ヤギシタさんお願いします。

ヤギシタ:僕は最初にオムニバスジャパンというポストプロダクション(映像技術会社)に入社しました。そこはテレビやCMなどの映像を編集、MAなど後処理をする会社で、スチルはやっていませんでした。

ちなみに高校時代は音響をやっていて、コンサートの音響さんのバイトをしていました。それでレコーディングに進むかPAに進むかという感じでいろいろ探っていくうちに、映像が面白そうだなと思って映像の学校にいきました。もう早く社会人になりたかったですね。学生の頃ライブ撮影していたりして、そういうのをちゃんと撮りたいと思って映像の学校に入ったんですけど、その学校の講師にドキュメンタリーを撮っているビデオのカメラマンの人がいて、その人の現場に連れていってもらいました。そこで自分もドキュメンタリーなどのビデオカメラマンになりたかった。その当時は、ドラマとかCMのカメラマンは監督に言われるがままに撮ってるだけじゃんって思ってたんですよね(笑)。それも勘違いだと社会に出てすぐに気づくのですが。だから自分の色を出せるのはドキュメンタリーだろうなと。

入社したオムニバスジャパンで配属されたのは「テレシネ」という、撮影されたフィルムをビデオに変換する部署でした。そこで一番重要なのは色を調整することですが、監督の狙っている色や、実際の商品に忠実な色、また、ブルーバックの合成などをしやすい色に調整をするわけですね。そこは95%以上CMで、たまにPVがある感じですね。今と違ってCMはほとんどフィルムでした。

そういう部署に配属されて、直接フィルムを扱う部署だからちょっとはフィルムの勉強しなきゃと思って初めてスチルカメラ「EOS 5」を買ったんですよ。それまでは全然スチルもカメラも持っていなかったのですが。

−−ヤギシタさんは映像系出身なんですね。

ヤギシタ:初めてスチルカメラを買ったのは社会人2年目ぐらいですね。それで写真の方を本職にしたいなあと思うようになって、6年目に会社を辞めました。以前から好きだったグラビアカメラマンのところに直接「アシスタントにしてください」と行ったんですけど、スタジオマンをやりながら待っている人がいるから、今すぐは無理と言われ、それで、たまたまコマーシャルフォトに出ていたカメラマンの求人広告に応募したら採用されました。スタジオマンの経験なしでいきなり個人アシスタントでした。

−−ヤギシタさんはアイドルやグラビアのフォトグラファーを目指していたのですか。

ヤギシタ:そうですね。そこで約1年アシスタントをやらせていただき、独立しました。数年はフリーでスチルを撮っていたのですが、一時期ゲームメーカーのスクウェアの人たちがスピンアウトして作った(株)フォレストエンターテイメントという会社の社員になりました。29歳~31歳の頃です。そこでCMの監督をやったんですね。企画、演出、撮影、編集、全部自分でやりました。初めての現場ではドキドキですよね。テレシネの経験はあるけれど、映像撮影する現場に行ったことない人間がそれだけやってるんですよ。オムニバスジャパンにいた頃の知り合いに助手を頼んで「何て言ったらカメラ回してくれるの?」みたいなところから始まって(笑)。

その会社ではフリーの仕事も受けていいと言われたので、普段は会社に行って、仕事があるときは休みを取ってバラエティのディレクターをしたり、そういう感じで会社員とフリーカメラマンの両面で仕事をしていたのですが、フリーのバラエティの仕事を1人で手がけていると他の仕事まで回らなくて、結局会社は辞めて、それ以降はずっとフリーです。

最近は雑誌の表紙を撮ったりなどで、ほとんどグラビアは撮ってないですけど、でも女性を撮ることは多いです。

−−スタジオマンの経験なくアシスタントになって、監督の経験なく監督をやってと、まさに才能勝負ですね。

ヤギシタ:単純に僕の周りには無知で無茶な人が多かった(笑)。動画の現場に行くと照明さんいるので、それを学んで写真の現場に生かしたりはしましたね。

−−ちなみにお二人が知り合ったのはどういうきっかけですか。

湯浅:パソコン通信ですね。もう20年ぐらい前ですね。僕が30歳の頃でした。

−−20年前はまだインターネットの前ですよね。それこそ本当にNifty-Serveなどのパソコン通信。

湯浅:インターネットってなんかすごいらしいよみたいな頃ですね。

ヤギシタ:僕は趣味で自分のホームページを作っていて、それはかなり早い時期からやっていたんです。その当時趣味で写真を掲載してる日本のホームページは、風景なども含めて毎日全部見て回れるぐらいしか数がなかった。だから自称なんですけど、女の子のポートレート作品を掲載したのは国内で僕が初めてです(笑)。


▲湯浅氏の作品から、株式会社マウスコンピューターの広告(2010年)(クリックで拡大) ▲湯浅氏の作品から、雑誌「ベストギア」(2009年)(クリックで拡大)


●カメラマンを取り巻く状況

−−湯浅さんは独立されて物撮り中心で活躍なさっていて、ヤギシタさんはグラビア中心の活動をされている。異なるスタイルですが、ビジネス的には最近はどうでしょうか。長い間フリーで写真を撮られてきて、最近の状況は経済的にどうなのか、率直にお話いただけますか。

湯浅:写真業界の仕事は、大きく分けて雑誌と広告になると思います。僕はもともと広告畑だったんですけど、趣味でクルマが好きだったのでクルマ雑誌の仕事も多少やっていました。でもここ数年は雑誌の比率が高くなっていますね。今は広告と雑誌の割合が5対5ぐらいです。

それは何故かというと、僕の事務所が偶然出版社の近くで、その出版社とのお付き合いが非常に大きくなってきたからです。広告から見れば雑誌はギャラが安いというのがもっぱらの噂というか事実だったんですが、ここ数年、広告もピンキリでしょうけど、デザイナーや担当者が自分で撮ってしまうという場合も増えてきました。従来の広告は、最低限チラシなどでもカメラマンに頼むのが一般的でしたが、それを内製化するようになってきました。デザイン事務所の一角でちょっと物撮りしていたりというのが現実にあるわけですよね。

−−それ、現実です(笑)。

湯浅:そうですよね。それを今までやってたカメラマンの仕事がそのまま消失してしまった。だけど雑誌は意外とそうはなってない。もちろん編集者が自分でカメラを持って取材してくるというのは当然あるんだけど、それは昔からあった話です。でも特集などで誌面を飾る写真は相変わらずカメラマンに出しているんです。

−−編集者には特集の扉などのビジュアルは撮れませんからね。

湯浅:雑誌の場合は小さなデザイン事務所のように1人、2人でやってる経営規模ではないんですよね。もっと大きい規模だから、経費的にもまだゆとりがある。出版社にもよりますが、経費もそれなりに出るし。

だけどここ1、2年はそれでも状況的にかなり厳しくなってきています。最近では、雑誌1冊を編集者1人で作っているところもあります。編集長=編集部員。この間撮影した仕事は現場に編集長が来て「あら、編集長なんですか今日は」「うん、僕1人なんですよ」とか言って。いよいよそういう風になってきたんですね。それでも、カメラマンには依頼しているわけですよ。

−−編集者はフォトグラファーにはなれませんから。

湯浅:編集者がすべて撮るとなると、Webや業界誌などになってしまうでしょうね。雑誌はビジュアルをもう少し重視しているので、カメラマンの需要はまだまだある。でも単価自体は下がってきていると思います。

−−広告の場合は1カットいくらですけど、雑誌はカット数で稼ぐという感じですか。

湯浅:雑誌はカット単価でなくページ単価が多いですね。

−−湯浅さんの場合、基本はご自分のスタジオに編集者がモノを持ってくるか、あるいは宅配便で届いたモノを撮るというスタイルですか。

湯浅:そうです。僕は物撮りが多いので、自分のスタジオを持つのが昔からの夢でした。物撮りだと自分のスタジオがないとダメなんですね。だから、今はそれが非常にプラスになっています。さらに出版社が近くにあったということがとても大きいです。

−−広告から雑誌へのシフトが始まっているにせよ、厳しいなりになんとかやっているような感じですね。

湯浅:今はそうなのかもしれないけど、この先はどうなるかは分からない不安感をみんな持っているんじゃないですかね。一部の売れっ子さんみたいな人は違うんでしょうけど、大多数のカメラマンはそうではないだろうなという気はします。ただ、専属的に担当している雑誌の撮影をしているカメラマンは手堅いですし、そこそこ余裕ですよね。その雑誌が休廃刊にならなければ。

−−雑誌の場合、人のつながりで仕事が決まる面があって、編集者が別の編集部に異動になれば、また仕事が広がりますよね。

湯浅:うん、そうですね。だから、そうなればわりに余裕な商売です。でも広告は意外にそうならないです。

−−ヤギシタさんはここ数年の現状はどうですか。

ヤギシタ:印象としては湯浅さんとまったく逆なんですよ。僕の知る限りでは、広告はやっぱりプロに頼まなきゃという意識は強いと思っています。湯浅さんみたいに広告の現場をたくさん知ってるわけじゃないんですけど。

たしかに雑誌は、僕がカメラマンになった当時は、小さなカットでも若いカメラマンに依頼していましたが、今は編集者やライターが撮るのが当たり前になってきました。だから僕らは僕らの持ち味をどうやって武器にしていかなきゃいけないのかを日々考えているわけです。

−−ヤギシタさんは今は雑誌が多いのですか。

ヤギシタ:雑誌がほとんどで、レギュラーは雑誌だけですね。あとは店舗で売る写真、ブロマイドなども撮っています。1日で6,000カット撮ったり(笑)。

−−それはアイドルですか。

ヤギシタ:そうですね、1パターン1,000枚売れる子もいます。

湯浅:商売として成り立つんだ。デジタルになってから、1,000カットだとかそういう単位の言葉が出てきちゃうんですよ。フィルム時代は1,000枚撮るなんて年に1回あるかないかぐらいのものだったのに、今は特に運動会とかスクールフォトをやっている人たちは、毎日のように1,000枚、2,000枚なんですよ。カメラマンは学校に入り込んでいる業者から依頼を受けて、運動会なり遠足なりに同行するのですが、最低限のノルマとして2,000枚撮ることみたいなものがあるようです。求めているのは量なんですよね。そういう風になってしまった。写真の変質というかね、そういうのを感じますよ。

−−質より量なんですかね。

湯浅:うん。その元締めの人も結局それをプリントしてさっきのように販売するわけだから、数あるほうが引っかかる確率としては高いということになる。運動会だったら誰が写ってるかが売り上げの問題になってくるから、いい表情だとかいう話ももちろんなのですが。

−−ああ、自分の子供がちょっとでも写っている写真は買っちゃうんですよね。

湯浅:だからすごく変質してきているなという。それが悪いとは言わないけど、昔とは違ってきていると思いますよね。

−−そういう写真関係のビジネスも変わってきているということですね。

湯浅:写真に対する人間の意識というか価値観というか、それが変わってしまっている数年だなと思います。写真1枚に対しての価値がないというか、ものすごく安くなっていますよね。いくらでも撮り直しができるし。


▲湯浅氏の作品から、「Happy」(2009年)(クリックで拡大) ▲湯浅氏の作品から「Models #1」(2009年)(クリックで拡大) ▲湯浅氏の作品から「Models #2」(2009年)(クリックで拡大)


●デジタルカメラが奪ったカメラマンの仕事

ヤギシタ:それと撮影料も基準がないですね。同じような仕事をしていても、出版社や編集部によってかなり違います。

湯浅:それはでも昔からあるんじゃない。同じものを撮ってもAというクライアントとBというクライアントで実際請求金額が違うとか、それは言えないよねって昔から思っていた。明確な規定はないし、いただけるところとからいただくっていうスタンス。他ではいくらでやってますなんて絶対言わないですね。

−−自分の写真の1枚の価値を決めてしまうと不自由なんじゃないですか。これだったら何万円もらえないとちょっと撮れないという話になると。

湯浅:そういうカメラマンって、商業ベースでは現実的には少ないんじゃないのかなあ。

ヤギシタ:今は交渉の余地がない気がする。うちはこの金額なんでよろしく、みたいな。「これぐらいになりませんかね」って言うと「ああ、もううち出せないんでいいです」という方向になってしまう。

湯浅:嫌ならいいですよっていう話でしょう。

−−依頼する側の立場でいうと、本当に出版社、編集部単位で、制作費に幅があるんですね。もちろんどこに重点を置いた予算組みをするかという考え方も含めてですが。それは本当にカメラマン個人に対しての評価じゃなくて、いくら予算を使えるかどうかなんですよね。

湯浅:そうそう、いくらしかないっていうことなんですよ。それしかない中でやってもらえるかどうかですよね。

−−そうなっていますよね。依頼側も正直厳しいというか、実情だと思います。さっきお二人ともおっしゃっていましたが、デジタルカメラの普及がカメラマンにとって不利益になったのは、例えば雑誌の巻末の読者プレゼントの写真は編集部が自分たちで撮るようになって、実質カメラマンに依頼できるのは表紙や特集の扉など、見せたい写真に限られるんです。そういった意味でデジタルカメラは編集者、あるいは会社側にとって十分有効なツールになったわけです。

湯浅:実際カメラマンにプレゼント商品を撮って、と言ったときに、説明しなくちゃならないのはかったるい話ですよね。カメラマンに目的や意図をいちいち説明する間に自分で撮ってしまえばいい。カメラマンはその写真の重要度の判断ができないから一生懸命撮っちゃって、マグカップ撮るのに1時間かかりましたみたいな。カメラマンは依頼された限りはベスト尽くしたいと思うから一生懸命になってしまう。そういうミスマッチがどんどん重なってきて、あのカメラマン、遅いからというふうに言われるだけになってしまうとかね。

−−デジタルカメラは、地明かりでストロボ不要で撮れるので、編集者にとっては革新的でしたね。フィルム時代はそうはいきませんでしたから。

湯浅:そういった若手カメラマンのファーストステップというか、若手ができる仕事がなくなってきていて、一方で僕みたいな古いのがいつまでも頑張ってやっているから若手が入り込む隙がない。じゃあどこから若手は入ってきますかみたいな話になっていくんじゃないかな。

−−そこは非常にリアリティのある話だと思います。先ほどから広告と雑誌の話、2つの大きな市場の話をされていますけど、今後はWebとかデジタルサイネージ、電子出版など、若手はむしろそこに目を向けた方がいいんじゃないかなとさえ思うんですけども。ただ、入りやすい分だけプロのクオリティまで持っていけるのかどうなのか。そこが問題になってくるのかもしれません。

ヤギシタ:先日、若いスタイリスト、メイクさんと12月に作品を作るというので実際オールスタッフで会ったんですけど、結局話がなくなった。作品撮りなので向こうはギャラを出すと言ったんですけど、私はギャラはいらないから満足したもの撮りたいと言って。で、君たちプロの作品として海外に出そうっていうんだったらこのモデルはどうかなといろいろ意見を言ったら「あ、もういいです」って。面倒くさいんでしょうね。僕は仕事になるためのポートフォリオというか作品を作るんだったら一生懸命やりますよって言っただけなんだけど。

湯浅:そういうものを望んでないんだよね。

−−むしろ友達感覚プロジェクトだったんじゃないですか。

湯浅:そういう感覚の違いが世代間の違いなのかもしれないですね。それを口に出して言わないと通じないのと、「うん、そうだよね」で同じ方向向いているかどうかっていう違いは多分世代しかないんだろうなぁって感じはしますね。

歳を取ってくるとそういう感覚がどうしても若い人とずれてくるのは感じますよね。それを若い人が口で説明しなくちゃいけないのはかったるい話で。「だったらいいよ、もっと若いヤツと組もう」みたいな話になっていっちゃうんだろうなあっていう気はしますね。

ヤギシタ:多分オレがうるさく言ったからだろうなって。実際には「ちょっともう1回練りますんで1回なしにします」って言ってたけど、そういうことじゃないかなって僕は思ってるんですよね(笑)。

作品を作ってこういうところに展示したい、海外のこういう雑誌にプレゼンしたいみたいなことをいろいろ言ってたんで、志が高くて偉いなと思って待ってたんですけどね。

湯浅:それはしょうがないな。

●新しいメディアとムービー

−−仕事をしていく上でお金を稼がなければいけません。広告、雑誌は現状厳しく、ではお金を持っているクライアントをどう探すかという現実的な話。ここが皆さん興味のあるところだと思うんですけども

ヤギシタ:それは僕らも聞きたいですよね(笑)。

−−さっきWebとかデジタルサイネージ、電子ブックといったキーワードを振りましたけど、そこは実際問題まだお金が動いていないと思うんです。日本においては特に。

湯浅:いや、実際やっていると思いますよ。だけどパイ自体はそんなに大きいわけじゃないと思うのと、動いているのは大きいところか小さいところかの両極端に感じます。iPhoneアプリのように個人で作れるレベルと、電通みたいなところがやっているというレベルとのその差がものすごくあるんじゃないかな。

それで、僕たち個人のカメラマンは別にそのどっちでもないんじゃないかなという気はするんですよね。だからそういう大手代理店とかの仕事をやっているカメラマンはすでにそういう仕事は行っているんじゃないかと。

一方で目先の利く頭のいいカメラマンは、もう個人で自分のアプリを作っているんじゃないか。今そういうのが思いつかないという人は、大多数の取り残されている人じゃないかなという気はしますよね。

アプリにしてもデジタルサイネージにしても、まだ極一部のメーカーさんが広告としてそれを利用しているだけの話なので、数的にはそんなに多くないでしょうね。

−−だから企業側からしてみてもまだ先行投資の段階で、それでお金を回していない状況だとは思うんですね

湯浅:今年に関しては震災で電気事情も悪かったのものあったしね。だからそこらへんで足踏みしちゃったんじゃないかなっていう感じはしますね。

−−5D Mark IIとかが出てきて、ムービー絡みの仕事も増えてきていると思うのですが、スチルカメラマンがムービー仕事を行うというスタンスは今後増えてくるのでしょうか。

ヤギシタ:要は同じカメラで撮れちゃうから、クライアントが「楽にできるでしょう。簡単にできるでしょう」みたいな認識なんですよね。そういう感じで頼まれることが多いと思うんです。

ディレクターがいて、カメラマンは撮影だけをやるんだったらいいんです。でも、そういうときは自分で編集もやってくださいよみたいなことで、ディレクターもやらなきゃいけないみたいな。そうなると、映像を撮るにあたって絶対必要な知識がいくつも欠けているんですよね。

だから僕が見てきた中でいうと、例えばテレシネをやってたときは大御所のファッションとか広告のカメラマンの人がムービーのカメラマンもやるっていうパターンが多くて、そういうときは本当に1カット、1カットの絵作りだけこだわればよかった。別にディレクターがいて、カット割りとかイマジナリーラインとかはディレクターが指示するから平気なわけですよ。そういう現場を積めば自然と覚えるでしょうし。でも現状は、変な話最下層というか、安くあげたいからみたいな(笑)。スチルのカメラマンも簡単にムービーが撮れそうだから試しに撮ってみるかって。そういうノリでやってしまうと、いろいろな知識が足りていない点があるんです。

−−イマジナリーラインとかも、スチルカメラマンでは知らない人が多いんじゃないですか。

ヤギシタ:知らないです。つい先週自分の事務所で講習をやったんですよ。色の調整の仕方とか、ムービーの。スチルの事務所ですけど、ムービーを撮ってくれとかカラコレ(カラーコレクション)だけしてくれとかいう話があるらしいんですよ。

−−クライアント側からしてみると、例えば何かの商品の物撮りの撮影があったとして、スチルでポスターを作るけども、Webでムービーを回して展開しようと思った場合には1人のカメラマンに全部やってくださいという話になる。ところが、スチルは撮れてもムービーは撮れないことが多いので、あまりうまくいっていないということですよね。

ヤギシタ:ムービーを撮るための知識がないのに、回せると思っているカメラマンも多いですよね。ムービーだけを昔からやっている業者さんとも僕は付き合いがあって、そういうところが愚痴っています。編集が終わった段階になって、「これもうちょっとカッコよくなんないですかねえ」っていう依頼があるんですって。クライアント自身がビデオカメラで撮って編集してというケースもあるでしょうね。ビデオカメラは10万円以下で買えるものあるし、パソコンはみんな持っているので、ある程度編集はできるじゃないですか。でも素材がちゃんとしてないから、撮る前に一度相談してくれればと思いますね。予算に余裕がないのであれば、最低限これだけはやってくださいとか、代わりにここはやってあげるからこれだけお金くださいみたいな話ができるわけじゃないですか。撮り終わってから修正っていうのが一番きついんですよね。

−−ヤギシタさんは、スチルもムービーもこなせるので、いい位置にいますよね。

ヤギシタ:そうですね。演出も自分でやるので。だから極端な話、アイドルイメージビデオとかで一番よくやっていたパターンは、自分でビデオカメラ回すんですよね。ディレクターやって編集もして、パッケージも撮るという。

−−全部できますもんね。ちなみに編集やカラコレするときはどんなソフトを使ってるんですか。

ヤギシタ:今はアップルのFinalCutProとColorですね。最新版のFinal Cutは評判が悪いので、1つ前のバージョンを使っています。Premiereもインストールはしてテストでたまにいじってはいますけど、メインで使ったことはないですね。


▲湯浅氏の作品から「Bridge」(2011年)(クリックで拡大) ▲湯浅氏の作品から「City Lights #1」(2011年)(クリックで拡大) ▲湯浅氏の作品から「City Lights #2」(2011年)(クリックで拡大)


●物撮りを脅かす? 3D CG

−−物撮りにおける3D CGの影響はいかがでしょう。例えばクルマや家電系は、モデリングデータをレンダリングしてそのまま広告に使うというパターンが多いですね。カメラマンが関わる余地が減ってきたということかもしれません。

湯浅:僕は全然影響を感じていません。結局レンダリングしてできますといっても、どのぐらい時間が掛かるのかというところです。レンダリングに3時間、5時間掛かるとタイムフィで料金が発生してしまうので、1カット料金で考えるとカメラマンを雇ったほうがよっぽど安いというのが現実だと思うんですね。カット単価で考えるとカメラマンは3D CGより安いので。

だから例えば「携帯電話を撮ってください。1カット5万円です」という話があったとき、3Dレンダリングはもっと安くしないと、撮影の方が安いという話になってしまう。だからまだ現時点では、3D CGは一部のごく特殊なケースだろうと思います。

実際に撮影した方がもっと経費が掛かってしまう大規模な作り込みが必要な場合やクルマの撮影など、3D CGはそういう場で活用されるものだろうなと。見たわけじゃないので想像でしかないんですけど、一般的な商業カメラマンまで「3D CGにやられたよ」といった影響が出るのはまだ先だと思いますね。

−−3D CGは伸びると思いますか。

湯浅:伸びると言われているのは、CGメーカーさんの策略ですよね。「これからはCGだよ」と言うのであれば、まず自分のところで全部請け負えば丸儲けできるわけで、そこに本質が隠れてるんじゃないかと思うんですよね。つまりペイしない、現時点ではまだできないということなんですね。

デジタルフォトも最近でこそマシンパワーも上がったし、カメラもいい製品ができたから普及したけれど、それに10年かかっているわけです。だから3DCGもまだ時間が掛かるんだろうなという気はします。

−−3D CGで広告を打つタイミングというのがあると思うんですけども、そのときにファイナルの現物がないと広告は打てません。つまり、被写体はすでにそこにあるわけなんですよね。

湯浅:ただ、今は納期のスパン、時間がものすごく短くなってるんですよ。僕の場合、雑誌よりも広告のほうが短いことが多いです。雑誌は毎月の締め切りが決まっていますが、広告は撮影当日に試作が間に合わないとかは当たり前のようにあって、もうまったく予定が立たないような状況で新製品の撮影を行っています。広告はそういう状況で本当に大変ですね。

−−でも現物がきたらすぐ撮れますからね。

湯浅:実際現場は大変だからCADデータでやろうという話になっていると思うんですけど、まだなっていないですね。それは時間の問題なのかもしれません。

−−あとCADデータではレンダリングして1枚絵にするときにライティングのスキルとかが必要だと思います。そのスキルって、やっぱりカメラマンのノウハウが求められるのではないでしょうか。

湯浅:みなさんそうおっしゃいますけど、どうなんですかね。僕もあと10年働ければいいから、あまりそういうことを考えたくないんですよね。10年前に、これからデジタルになるよと言われたときに、50歳~60歳のカメラマンは「オレもういいよ」って言ってたけど、僕も今そういう感覚を持ちつつあるなってすごく思います。

−−今から新しい道具は使いたくない?

湯浅:またこの10年を繰り返すのかと思うと、ちょっとげんなり感はありますよ。もう安穏と暮らしていきたいなって。好きな写真を撮って暮らしていきたいなってそろそろ思いますので。

−−世の中のトレンドの動きに関してはつかず離れずみたいなところですね。

湯浅:いやあ、でもどうなんですかね。どうなるかは本当に分からないですね。

ヤギシタ:デジタルに関しては湯浅さん、最先端いってるイメージありますけどね。まだデジタルカメラでまともに印刷できない頃から使ってましたもん。

湯浅:そんなことないです。今でも試行錯誤ですし。


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