Illustrator
10000etsuko(イチマン エツコ)イラストレーター。
1984年5月25日生まれ。大阪在住。大阪総合デザイン専門学校グラフィックデザインコース、インターナショナルアカデミーパレットクラブイラスト教室卒業。デザイナーを経て現在へ…。
http://10000etsuko.jimdo.com/
10000etsukoさんは大阪在住のイラストレーター。デザイナーとして就職後、改めて絵を学び直し、その後フリーランスのイラストレーターとして、約3年前から活躍している。そんな10000etsukoさんに、幼少時代からの絵に対する想い、仕事の状況、今後の夢などを語ってもらった。
幼稚園から小学校の頃は、私は人見知りがすごくて。絵が自分の頭の中を表現してくれる、紙の中だったら自分の好きな世界が描けるということにワクワクしている子供でした。
私には双子の弟がいるのですが、弟はすごく元気で社交的で。一方私は内向的で、対照的な双子でした。幼稚園で弟は外で遊びまわって、私は室内で絵を描いているような(笑)。1人だけスケッチブックが積み上がるくらい絵を描いていました。
自分から友達に話しかけるというアクションがなかなかできなくて、友達に声を掛けてもらえれば普通に遊べたんですけど。なので、絵を描いていると「何描いてるの?」って友達が集まってきてくれて…絵を描くことで、友達や先生が喜んでくれる顔が見たかったんです。
自分に自信がなくて、姉含めて3人兄妹なんですけれど、親からも変わった子、「あんたは何考えているか分からへん」とか言われていて(笑)。絵を描いているときが一番楽しかった子供でした。
でも自分ではどこが変わっているのか分からなかったのですが、親からは、興味を持つ場所が人とは少し違うと言われていました。それがすごくイヤでした。
そういえば、虫とか、小さい世界が好きでした(笑)。蟻をオモチャのバスに入れて「蟻がバスに乗ってる!」とか、蟻の巣をずっと観察したり。興味を持つと分かるまで調べたいタイプかもしれません。
小学生の頃、友達に喜んでもらいたくて、どんな絵に興味を持ってもらえるのかなと考えて、連絡ノートの表紙にクラス全員の似顔絵を描いていました。卒業文集の表紙も描かせてもらいました。みんなが楽しんでくれるのが嬉しかったので。やはり似顔絵が一番喜ばれました。
ちなみに、両親はクリエイティブ関連の仕事ではないのですが、でも母方の祖父がデザイナーで画家でした。
海外のアニメが好きでした。例えば「スパイダーマン」、「デクスターズ・ラボ」といったアメコミ系がすごくです(笑)。赤とか青とか原色を取り入れた色がきれいで、たくさん色を使っているのにまとまっていることに興味が惹かれて。デッサンもすごいしカッコいいですよね。
海外のロゴマークも好きでした。ナイキやアディダスとか。どうしてこの形になっているのか、意味や成り立ちを調べていました。
日本のアニメや漫画はぜんぜん分からないです(笑)。あまり見たことや読んだことないんですよ。唯一ドラえもんくらいですか。
それと、音楽ですと姉の影響なんですけれど、重低音効いたR&Bのアクアとか好きです。
影響を受けた作品と作風が結びつかないですよね?(笑)。描く時には全然違う形になっています。でも私、絵を描く時は、何も見ないし何も感じないようにしているんです。
小学生の時に、イラストレーターという職業を知ってから、どうしたらなれるんだろうと思っていて、高校は2年生から絵の授業を選択できるところに入学して美術部に入りました。高校卒業後はすぐに仕事をしたかったので、大学で4年も勉強したくなくて、大阪総合デザイン専門学校グラフィックデザインコースに入学しました。
昔から、こんな絵を描いてくださいと頼まれて、それに当てはめて自分の世界を表現するのが好きなんです。イラストレーターという仕事はまさにそうだと思います。画家のように自分の世界だけを追求するのではなく、依頼されたリクエストに絵で応えたいです。
高校の時、美術部顧問の先生に進路の相談をしたとき、イラストレーターは定職ではなく、就職してできる仕事じゃないから、就職を考えているなら、イラストも描けるデザイナーはどうだと言われました。私はどういう形でもいいので絵に関わっていきたかったので、専門学校でデザインを学びました。
就職したデザイン事務所は、キャラクターを専門とした会社で、いろいろ勉強になりました。またIllustratorなどのソフトの使い方やパソコンによるワークフローも会社ではじめて学びました。
ただどうしてもデザイン主体の会社でしたので、だんだん絵を描きたい気持ちが強くなってきました。そこで「自分で作った商品を出す」と、会社での目標を決めて、それが実現できた時に辞めようを考えました。3年半経って自分の中で区切りがついたので、絵の学校に行くために退職を決めました。
それから、京都のインターナショナルアカデミーパレットクラブイラスト教室に1年間通いました。そこでは著名なイラストレーターの方が教壇に立ち、イラストレーターになるための実践的な授業が行われました。
そして卒業後にフリーランスのイラストレーターとして活動を始めました。
ポートフォリオを持って周るといった、営業はしたことがないのですが、ホームページ、ブログ、Facebookなどを活用しました。そうしたら最初に東京の革製品のメーカーから連絡をいただき、イラストの入った革の財布の仕事をいただきました。
運が良くて、最初にいただいた仕事を頑張って、それが次につながっていった感じです。
IllustratorとPhotoshopです。絵によっては水彩や色鉛筆、顔彩による手描きのものをスキャンして、Photoshopで仕上げています。ペンタブレットは使っていないです。入稿も今はデータ入稿です。原画をお渡ししても困る方が多いですね。
まだまだ頑張りたいです。自分のイラストが変わっているので、それをクライアントにどういう形で提案させていただくかを、もっと考えなければいけないと思っています。
例えば雑誌の挿絵などで、自分のテイストを生かしつつ、読者に分かりやすく伝えることなど、まだまだ課題です。
イラストレーターはイメージを分かりやすく具現化する仕事ですよね。私の絵はわりと抽象的なので、コラムの文章より強すぎたり、離れたりしないように心がけたいと思います。
今の主な仕事は、関西圏での広告、チラシなどの商業イラストが多いです。かなり具体的なイラストの依頼が多いので、そういう絵も描かせていただいています。例えばペット用品のカタログなどでは、犬の歯磨きの仕方などの説明イラストも描いています。
もっと個性を突き詰めて、イラストとして認めてもらいたい。読者がイラストレーターのクレジットを見なくても、このタッチは私の絵だと認識してもらえれば嬉しいです。そこまで行きたいです。
そして、世界に通用するイラストレーターになりたいです。例えばルイ・ヴィトンのようなブランドと、自分のイラストでコラボレーションできればというのが夢です。そういう形で世界に認められたいというのが目標です。
大阪よりも東京の方が世界に近いと思っていますので、まず東京の仕事をいただけるように頑張りたいです。
これしかないと思ったら、ぜひ突き詰めてやってほしいです。絵を大切に、頑張ってください!
(2014年11月10日更新)