●生成AIも私の作品
フィルム時代、私はシノゴのカメラとテント装備を背負って、北アルプスへ撮影に出かけていましたが、1999年末、友人の影響でニコンD1を購入しました。 初めてのデジタルカメラに胸を踊らせ、すぐに山へ持ち込んで撮影したことを覚えています。当時の感覚では「フィルムに加えて新しいメディアが増えた」というものでした。しかし、わずか1~2年で私は完全にデジタルへ移行しました。この流れは、最新のAI生成技術の進化とどこか似ています。
生成AIに実際に触れ始めたのは2年ほど前です。絵を描くことができなかった私にとって、AIが作り出す世界は新鮮で、憧れの領域でもありました。写真では表現できない、撮影できないことも、生成AIなら実現できたからです。例えば月面の風景を描かせるとか。
「生成AIは写真ではない」という考え方には私も同意します。写真は光学的・物理的なプロセスによって現実を切り取るもの。生成AIはアルゴリズムを用いて新たなビジュアルを創造するものです。根本的にプロセスに違いがあります。
それでも私の中ではフィルムもデジタルも、そして生成AIもすべてが「私の作品」です。「写真家」という肩書がふさわしくないのなら、「アーティスト」に変えれば良いだけです。

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●写真は消えない
デジタル技術が写真業界を大きく変えたように、生成AIもまた、今後10年以内にビジネスシーンでの写真を大きく置き換えるでしょう。広告、メディア、プロダクト撮影といった分野では、効率やコスト面でAIが優位に立つのは避けられないと思うからです。
では、「写真は消えるのか?」と言うと、そうは思いません。写真が持つ「記憶」の力は、生成AIでは代替できないものですからです。例えば、「亡き祖父と一緒に撮った家族写真」があったとして、これをAIに描かせたとしても意味はないでしょう。写真が「現実の証拠」であり「瞬間の記録」であるという性質は、AIには真似できないものです。
現代でも「書道」が主に趣味として現代に残るように、「写真」もまた主に趣味として今後も残ることでしょう。

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●新たな表現手段としてのツール
生成AIが主流になる未来は確実に訪れると思う。しかし、それは写真が完全に消えることを意味するわけではない。写真は、個人の記憶や感情と深く関係していて、人々の生活に根付いています。そして、生成AIもまた、新たな表現手段として写真家やアーティストの創造性を広げるツールになり得ると思います。
写真家にとって大切なのは、技術の変化を受け入れながら、自分らしい表現を追求し続けることだと思います。「写真」「生成AI」「フィルム」…どんなメディアであっても、私たちの作品が人々の心に届く限り、それが本質なのではないでしょうか。
追伸:私は文章を書くのは得意ではありません。が、AIに「こんなことを書きたい」と伝えればAIがそれなりの文章を作ってくれます。今回の原稿もそうやって書き上げました。自分で読み直して修正が必要ではありますが、こういうことも近いうちにAIが学習してくれることでしょう。

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[原画]はSeaArt (https://www.seaart.ai/ja) でプロンプトを入力して生成。
[原画の拡張]はPhotoshopでキャンパスサイズを拡大し、余白を生成。
[原画の拡張の動画]はklingai(https://klingai.com/) でプロンプトを入れて生成。
次回のコラムは糸崎公朗さんの予定です。
(2025年3月10日更新) |