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リレーコラム
カメラマンの独り言
-CG、生成AI時代の写真生活-


第2回:脇 秀彦/写真家


2000年代に入り「写真」はデジタルテクノロジーにより大きく変貌した。そして最近では生成AIやCGレンダリングといった写真によく似た「新ビジュアル表現」が台頭してきている。そんな時代にカメラマン、フォトグラファーはどう対応していけばよいのか? そんな思いを語っていただくリレーコラムです。




Photographer's Murmur 02

脇 秀彦:香川県在住。県内の写真館、コマーシャルスタジオにて勤務後、2005年独立。2017年丸谷嘉長氏に香川県で出会い「Negative Pop」に参加。2022年英デジタル写真集「私を見つけて」(aliente)刊行。2022年個展「今を生きている」(塩江美術館)、2024年「Negative Pop Group Photoexhibition-置き去りの記憶-Bar山崎文庫」、2024年「Negative Pop Group Photoexhibition-時の記憶-Nodehotel京都」。
https://wakiseasoncamera.com/

●変化し続ける「写真」

写真を仕事で始めてからかれこれ20年以上経ち、私の中でも写真は常に変化し続けるものという認識がようやく出てきた。

フイルム時代はこの仕組みがずっと続くと思っていたのに、早々にデジタルカメラが出現し、その後CGが写真の一部を担うようになり、今はAIが賑わいを見せている。世の中に目を向ければ、「写ルンです」が出てきて写真が身近になり、次に若い子の中ではプリクラが出現し、さらにプリクラで簡単に顔を修正ができるようになった。

携帯電話でも写真が撮れるようになり、それをみんなでシェアできるようになり、修正も簡単にできるようになった。この20年をみても写真は常に変化している。写真は誕生してからずっと変化しているのだ。

●作品テーマは「髪山水」

一時はデジタルがフィルムの画質を超えれるのか超えたのかのような論争が多くされていたが、技術革新に競争は必要なので当時はとても重要なことだったのだと思う。

では今それが重要かと言われれば、特別重要とも思わない。デジタルなのか、フイルムなのか、CG、ムービー、生成AIなのか、写真なのか…それは、油絵なのか水彩なのかデッサンなのかそれと同等な気がする。

もっと大きく言えば、絵なのか写真なのか立体なのか、そこに細分化された枝葉のようなものでツールの1つなんだろうという認識で今は思っている。

AIがどこの階層になっていくかは、今は分からないが、今回、Negative Popグループ展「Behind Memories 時の記憶」では、作品を美術館で見ているようにしたかったので、如何に客観性を持たせれるかというところから考えていった。

私が作りたかったものは「髪山水」。


「髪山水」。(クリックでリンク)
 

単純に「枯山水」の駄洒落ではありますが、「髪山水」という言葉にして、砂で表現している「枯山水」に対して砂を髪に変えて、岩を人間で表現したかった。

「枯山水」は古くから禅寺で作られてきた。「枯山水」は禅宗寺院で開発され、 そこでは瞑想の道具として使われていた。「この世とあの世をつなぐ庭園」を象徴している。これを髪に変えて、あたかも庭を見るように客観的に作品を見ていただきたかった。

人はそれを見てそこで何を考えるのか。私はその得体の知れない「髪山水」というものを実際に形にしてみた。想像通りのものができた。それ以上でもないもの。果たしてこれは何なのか?

●ChatGPTと生成AIを利用

見れば見るほど退屈になってきた。そこで登場するのがAIだ。ChatGPTに関してはネット上の情報を拾い集めてきて教えてくれるという認識があるので、GPTに聞けばもしかしたら「髪山水」が何かを教えてくれるかも知れないと思い、プロンプトを打ち込んでみた。下手に情報を与えたくなかったので、ただ「髪山水」とは何ですか? と。

ChatGPTは3つほど答えを出してきた。1つは名前や商標。 もう1つは髪に関連する特定の技術や方法。

そして3つ目には以下の文化や芸術のコンセプトだ。山水とは、日本や中国の伝統的な庭園や絵画に見られる風景画のスタイルで、山や水の風景を描いたもの。「髪山水」という言葉が、髪に関する美術的なコンセプトやデザインを指している可能性も考えられる。

この3つ目はなかなか近い答えを出してきたので驚いた。ただそれが何を意味するのかまでは分からないようだった。それはそうだ、勝手に作った言葉だから。

次に、生成AIがこの言葉から何を作り出すのかが気になった。今度はいくつかの生成AIのプロンプトに「髪山水」とだけ打ち込んだ。するともう少しプロンプトをたくさん打ち込んでくれないとできないという答えが出てきた。いやいや私は「髪山水」という言葉で想像しこれだというものを作ったのだから、AIにこれ以上のヒントは与えたくない。

するとPhotoshopの生成AIでは、「髪山水」と打ち込むと何やらみたことのない髪の塊や、変な髪型の写真が生成された。


生成AIによる画像。(クリックで拡大)。

生成AIによる画像。(クリックで拡大) 。


生成AIによる画像。(クリックで拡大)。
 

●AIに訊ねながら作品作り

私は自分が作った「髪山水」が想像通りでつまらなかったのに、生成AIはまるでこれですよと言わんばかりに画像を生成してきた。この行為、なんと面白いんだろうと思ってしまった。余白しかないというか、もはや何も的を得ていない。そこに自由意志さえ感じてしまったのだ。

つまり私の方が何かしらの概念に固められており、生成AIに自由を感じてしまったのだ。もう嫉妬でしかない。

そうなれば私も自分の髪山水という言葉の概念(そんなものはないのだろうが)、呪縛のようなものから解放されたくなった。そこから制作段階に出てきた何となくのイメージを形にしていった。すると作品に余白ができ、自由になった気がした。それらを髪山水のバグとして作品に仕上げた。


「髪山水」のバグ。(クリックで拡大)。

「髪山水」のバグ。(クリックで拡大) 。


「髪山水」のバグ。(クリックで拡大)。

「髪山水」のバグ。(クリックで拡大) 。

今回私はAI使って作品制作をしてきたが、その使い方はAIに何かを生成してもらって作品にするということではなく、AIに訊ねながらAIが作らないものを作るということをしてきた。途中AIに気付かされることもありながら。

そんな中で感じたことは、私がこの「髪山水」という言葉と画像をネット上に出し多少でも広まっていった場合、今後誰かが髪山水をChatGPTに聞いたり、生成AIで生成した時、私の「髪山水」の説明がされ、髪の毛でできた「枯山水」を生成することがあるのだろうかと考えてしまう。そうなれば、こちら側から生成AIの中身を生成する側になれるのかなと考えた。

それはある意味で、自分の作品を新たにAIに広めさせるという媒体的な使い方ができるのではとも考えたし、いろいろな嘘がAIの中に潜んでいるということも少なからず考えて付き合っていかなければならないと思った。

今回AIについて、あらゆる角度から考えることができ、とても面白いアプローチができたと思う。今後AIがどのように進化し発展していくか分からないが、私自身客観的にAIを観察していけたらと今は思っている。

今回の作品は9月21日よりNegative Pop サイトでも発表させていただきます。
https://negativepop.net/
是非みていただければ幸いです。




次回のコラムは長居安寿哉さんの予定です。

(2024年10月1日更新)

 

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