▲最近の作品から「花の人魚」。(クリックで拡大) |
|
▲最近の作品から「化女沼レジャーランド」。(クリックで拡大) |
●小3の頃から一眼レフをブラ下げて東山動物園に
--写真はいつ頃から興味があったのですか?
HASEO:物心ついた頃から、家にあった一眼レフカメラや8ミリカメラに親しんでいました。カメラやビデオが父の趣味で、当時まだ高級品だったベータマックスなどのビデオ機材もありましたが、動画にはあまり興味がなかったですね。カメラはもちろんフイルムの時代です。
小学校3年生の頃、父の一眼レフとコンパクトカメラを持って、名古屋の東山動物園に写真を撮りに行ったのがカメラマンとしての始まりです(笑)。一眼レフカメラは撮るのがなかなか難しくて、現像したら真っ黒だったり。なんで黒くなってしまうのか、教えてくれる人も周りにいなかった。まだインターネットがない時代でしたので、本を買って独学で写真の勉強をしました。子どもの頃は一眼レフよりコンパクトカメラの方が失敗が少なかったので、一眼レフカメラの方が実はきれいに撮れることは後になってから知りました(笑)。
--子どもの頃は、動物が撮りたかったのですか、それとも写真が撮りたかったのですか?
HASEO:動物も大好きでしたし、写真が楽しかったですね。フイルムを装着することを覚えただけで偉くなった気分で(笑)。当時、1980年代ですが、今と違って、写真はまだ特別だった気がします。フイルムを入れ替えて写真を撮っている行為そのものが特別でした。ただ、僕は昭和40年代生まれなんですが、写真を撮っているというと、アイドルの追っかけ? と思われるのもイヤで(笑)、あまり人には言わないようにして、ずーと1人で撮っていました。小学校高学年から中学生になって、自転車で遠出して写真を撮っていました。その頃ようやく望遠レンズを買ってもらったことを覚えています。
--フイルム写真は、フイルム代だけではなく、現像、紙焼きなどでお金が掛かりますから、子供には大変ですよね。
HASEO:24枚でトータル2,000円以上掛かりますから、24枚の中にどれだけ良い写真を収められるか、そういう時代でしたね。高感度フィルムは高嶺の花で、普通のネガカラーで撮っていました。
--完全に写真が趣味の少年でしたね。
HASEO:趣味が高じて、高校生になってから、一時期ミノルタの工場で期間工のアルバイトをしていました。1日のアルバイト代が5,000円くらいでしたが、名古屋から豊川の工場まで往復2,000円以上かけて通っていました。仕事は生産ラインで僕以外は全員ブラジル人みたいな工場でした。当時AFと言えばミノルタだったので、どうしてもそこで働きたかったんですね。
▲動物園で撮影した初期の作品。(クリックで拡大) |
|
|
●カメラマンではなく一般企業に就職
--では将来はフォトグラファーを目指して?
HASEO:子供の頃は、動物園の飼育係かカメラマンになりたかったのですが、片親だったこともあり、大学に入った頃から現実的に考え、卒業後は一般企業に就職しました。でも社会人になっても写真を撮り続けていて、いつかカメラマンになるという気持ちは消えなかったですね。
30歳の時に脱サラしてカメラマンになりました。最初は独学でフリーランスとして自分なりにやっていたのですが、ぜんぜん食えなかったです。脱サラして美容院や飲食店経営の会社も興したのですが、そちらの売り上げでカメラマンにしがみついていた状態でした。周りからは順調なんだから会社経営に徹すれば? と言われていたのですが、カメラマンは夢だったので、なんとか続けていました。インターネットの時代になって、ホームページにアップしていた僕の写真を見てくれた写真家の杉山宣嗣先生に「もっと学んだら?」と声を掛けていただいて、東京写真研究倶楽部の所長の高井哲朗先生を紹介していただきました。
高井先生は物撮りですごく有名な方ですが、人物を撮るときのライティングなど、自分に足りなかった基礎や考え方など、本当にいろいろと学ばせていただきました。
--そこからカメラマンとして本格的な活動ですか?
HASEO:当時僕は、地方で活動するカメラマンとして妬んでばかりいました。東京で活躍しているカメラマン全員に向けてですね。僕はデビューが遅いこともあり、東京で若い頃から偉い先生の下で働いて有名になっていくカメラマンを見ていると、自分の方が上手いのに何で…という気持ちに支配されていたのです。おそらくこの気持ちは、地方在住の腕に自信のあるカメラマンなら分かってもらえるかもしれません。
でもその発想がそもそも間違っているんですね。そうやって拗ねるヒマがあったら、自分をいろいろな人にアピール、プロモーションしなければいけない。そういった心構えも杉山先生や高井先生に学びました。当時の自分の写真も、自分が良いと思っていただけで、よくよく見たら大したことはない。田舎でちょっと上手いとチヤホヤされているレベルだったんです。
--地方のカメラマンのメンタリティはなかなか複雑ですね。
HASEO:地方のカメラマンのギャラは1日仕事して15,000円とかです。機材を揃えて、作品を撮って、結婚して、子どもを作ったら…それはもう無理です。自分の作品撮りもままならないから、地方と東京の格差も埋まりません。脱サラして夢を追いかけても、退職金や貯金を食いつぶしたら地方のカメラマンは終了です。そして夢破れて普通の仕事に戻っていく人も少なくない。
ではどうすれば、自由に撮れるのか。僕は会社経営も行っていたので、写真を撮る環境は確保できていました。周りから見れば、なんでそこまでして写真を撮るの? という状況が何年も続きました。
--経営者としては成功したけれど、カメラマンであることを忘れられなかったわけですね。
▲初期の作品から。(クリックで拡大) |
|
▲同じく初期の作品から。(クリックで拡大) |
●影響を受けた人、HASEOの写真ルール
--話は少し戻りますが、写真家など影響受けた人について教えてください。
HASEO:やはり高井先生を誰よりも尊敬しています。写真技術、ライティング技術は日本一だと思っています。海外ではティム・ウォーカー(Tim Walker)が大好きです。エミリー・ソト(Emily Soto)も好きですけれど、自分の作風はティム・ウォーカーからの影響が一番あるかなと思っています。日本では金澤正人さん、蜷川実花さん、小林幹幸さんは大好きです。
ただ、自分が一番影響を受けた表現は、写真ではなく画家なんです。クリムト、ミュシャ、フェルメール…僕がインスピレーションを受けて、こういう写真を撮りたいと思うモチベーションは実は絵からなんです。
--確かにHASEOさんの写真は、特に複数人のモデルで構成した写真は絵画的です。
HASEO:僕は雑誌「PLAYBOY」のメキシコ版の撮影もしているんですけれど、PLAYBOYの60年の歴史で日本人カメラマンは僕が初めてとのことです。その理由を尋ねたんですけれど、「日本のグラビアはガラパゴスだ。背景ボカしてにっこり笑ったバストアップの写真ばかり。HASEOは背景をちゃんと撮っているカメラマンだったから起用した」とのことでした。確かに自分が撮るのはモデルだけではなく背景ありきなので、絵画的なんだなと改めて納得しました。
--絵画は頭の中のイメージを絵筆で表現するので、画材以外のコストは掛かりませんが、写真の場合はモデル手配から背景のセットまで、大規模になるほどお金が掛かります。
HASEO:僕の中のルールなんですけれど、写真はそこにある本当のものを写すから”写真”なんです。なのでCGや合成は一切使いません。やがて消えてしまうものを永遠に残すのが写真だと思います。若くてキレイなモデルさんもやがて年を重ねる。2、3日でゴミ箱に捨てられてしまう生花にこだわるのも同じ理由です。自分の頭の中にある世界を形作るけれど、そこには真実があって、なおかつ、やがて朽ちていくもの、消え去るものを撮らないと意味がない。正しいかどうかは分かりませんが、それが自分の写真のルールなんです。
--アートでもあり記録でもあるわけですね。ちなみに師事されていた高井哲朗氏とは、作風はまったく違います。
HASEO:そうですね、写真の師は間違いなく高井先生ですけれど、作風の師を問われれば、絵画のラファエル前派だと思います。
--HASEOさんの世界観は西洋的でも東洋的でもない、無国籍なイメージを感じます。
HASEO:「和」だから着物着て、とか「西洋」はこうでなければいけないという一般的なイメージが僕の中でしっくりこないのです。そういう固定概念に対してNoという気持ちがあります。僕は着物を着た外国人が好きですし、ドレスを着た日本人もいい。一般的イメージで決め付けてしまうのは、自分の中で美しくないんです。
--スタイリストやヘアメイクさんなど、スタッフの方々にHASEOさんの世界観を伝えるのは大変そうです(笑)。
HASEO:僕はfacebookにメンバーとグループを作って利用しています。そこで絵を見てもらい、イメージや情報を共有していきます。セットや小物などの進行状況などもメンバー全員で確認していきます。
--1つの作品を撮るのにどのくらいの準備期間が必要ですか?
HASEO:長いもので1年以上です。自分の良いところは心が折れないところなんです(笑)。1年掛かっても2年掛かっても、負けたと言わなければ負けじゃない(笑)。100回負けても最後に1回勝てばいいんです。今年できなければ来年といった具合に、いまだに準備している作品もあります。
--セットの場所をキープするだけでもコストが掛かりますよね?
HASEO:愛知県一宮市に体育館くらいのスペースを所有しています。2階建ての倉庫みたいなスタジオです。それが地方の利なんです。同じことを東京ではとてもできません。
▲代表作「或る信仰者の悲劇『審判』」。(クリックで拡大) |
|
▲同じく代表作「地獄の華」。(クリックで拡大) |
●カメラと撮影処理
--現在、HASEOさんのメインのカメラはペンタックスの645Zですが、気に入っている点はどこですか?
HASEO:なにより、防塵・防滴に強い点ですね。僕はフィールドカメラで中判デジタルを使う、数少ないカメラマンの1人なんです。屋外にセットを組んだりしますので、かなり過酷な条件で撮影を行います。ですからレンズも撮影時はあまり換えません。レンズを換えるならカメラを2台持っていきます。今後はフジフイルムのGFX 50Sも使う予定です。
--CG、合成は行わないとのことですが、レタッチなどの処理はどの程度行いますか? それはご自分で行うのでしょうか? また個展の際のプリントはどのように出力されていますか?
HASEO:レタッチは自分で行います。現像ソフトはLightroom、加工ソフトはPhotoshopを使用しています。個展のプリントは、すべて外注に出します。最近ではキャンバスプリント、クリスタルプリントです。
●ブレイクまでの道のり
--地方の1カメラマン時代から現在に至るまでの経緯ですが、ご自分でどのように分析されていますか?
HASEO:ブレイクして3年。ビジネス面では妻が頼りになるのですが、Twitterでまず1万フォロワーという課題を出してくれたり、facebookに毎日必ず1枚写真をアップするなど、SNSの利用が大きかったと思っています。
いくら自分の写真に自信があっても、それを他人に見てもらえなければ、誰にも知られなかったら意味がないわけです。高井先生にも杉山先生にも言われたのですが「自分でプロモーションもしないで他人を恨むな」と、まさに真理だと思います。
地方でくすぶっているカメラマンってそういう人多いと思います。そういう人たちは自分を知ってもらう努力をもっと行うべきです。自分もまさにそういった地方のカメラマンでしたが、高井先生の下でマインドチェンジできたのがよかったと思います。
カメラマンを企業として考えれば、誰かに見つけてもらうのを待つのではなく、プロモーションという企業努力を行うのは当然です。会社経営もカメラマンも考え方は同じではないでしょうか。
--活動拠点を東京に移すお考えはありますか?
HASEO:今でも実質的に月の半分以上は東京にいますが、今後も名古屋をベースに活動を続けます。
▲代表作「ひな祭り」。(クリックで拡大) |
|
|
●写真絵本とクラウドファンディング
--今後の展開はいかがですか? 写真賞もいろいろあります。
HASEO:2016年にヨーロッパの写真コンクール「PX3」のFINE ART部門でゴールドを受賞しましたし、グラビアでの目標だったPLAYBOYでの撮影も実現して、賞が欲しいとはあまり考えていません。
▲PX3でゴールドを受賞。(クリックで拡大) |
|
▲メキシコ版PLAYBOYのグラビアを撮影。(クリックで拡大) |
今は、「写真絵本」を作りたいと思っています。いつも写真を撮るときはストーリーを決めてから撮影しています。長いもので原稿用紙70枚くらいの物語を作ることもあります。普通に小説みたいに長いです(笑)。それで写真は4、5カットです。撮る内容も絵コンテを決めてから撮ります。ちょっと偏執狂的ですね(笑)。
そうやって写真を撮っているので、それを一度絵本にしてみたい。「写真絵本」という新しいジャンルを世に問いたい。
--「写真絵本」、いいですね。
HASEO:それともう1つはクラウドファンディングによる写真ビジネスです。現在Twitterのフォロワーは23,000人くらいですが、最近はじめたInstagramのフォロワーも年内1万人を目標にしています。
僕の作品は、見てもらえれば、10人中2人は気に入ってもらえると思っています。将来2万人のファンを獲得したいと考えているのですが、そこまでファンを増やすにはSNSのフォロワーの合計が10万人を超えなくてはならない。
そして2万人のファンのうち10分の1でも自分に対して毎月お金を払ってもらえれば、それを原資に作品の制作を行い、ファンと共有したい。こういった仕組みは2016年の写真展「人魚展」などで実験的に行っています。ようするに、クラウドファンディングでHASEOの写真展に参加できる権利です。
画家は絵を描くことで対価を得て、音楽家は音楽を作ることで対価を得る。写真家も自分の作品でお金をもらえるシステムを体現したいですね。作品を作ることで利益を得るシステムを日本で初めて定着させたいと考えています。
--確かにHASEOさんの作品は1カットに相当なお金が掛かっています。スポンサーも特にいないようですし、HASEOさんの表現活動は、ビジネス面も含め、他の写真家には真似ができないところまできているように感じます。
HASEO:中途半端は真似されます。高井先生に昔の作品を見ていただいたとき、「センスはいいけれど、これなら真似できる。やるならとことんやれ」と言われました。ですので、やるならとことん。誰かが真似する気が失せるまでやらないといけないと思っています。
--ありがとうございました。
2017年2月、東京・新宿にてインタビュー。
(2017年3月28日更新)
|