▲久々に休みを取って友人と会うも、結局終日ホテルに篭って撮影会という、贅沢で愉しい時間。そんなレアな友人がいることに感謝。(Nikon D850/Nikon 50mm)。(クリックで拡大) |
|
|
▲生命の神秘と美しさを感じる形状。被写体の空気感を残したいと思った瞬間。スタジオ撮影。(Nikon D850/Nikon 85mm)。(クリックで拡大) |
|
|
▲体を作る曲線も息遣いもリズム感で表現したくなる。スタジオ撮影。(Nikon D850/Nikon 50mm)。(クリックで拡大) |
|
|
●対比
人を形どる要素に惹かれる。感情の機微を捉えられた時、人を構成するパーツが美しいと感じた時…。震えるほどの感動を体現できるのが人物写真の魅力だ。
特に今回の撮影では、普段の仕事では踏み込めない被写体への領域をストイックに追求できたのが印象的だった。
作り込みにおける被写体との対話は、コンディションや息遣いなどさまざまな要素が奇跡的に重なってできる化学反応みたいなものでもある。しかし、友人だからこそ突き詰める度合いや踏み込んで良いボーダーラインは際どい。
1回目、2回目、3回目と回を増す毎に精度は上がるが、求める側の要求がつい強くなり、時には友人関係が危ぶまれるスリルすらある。まさに真剣勝負だ。想像して欲しい。1日10時間もホテルや自宅に篭って撮影する・されるって、他人から見たら狂気の沙汰であろうが、私にとっては幸せの極みなのだ。
ただ、シンプルに「撮りたいもの」に純粋に対峙できる時間は貴重である。
写真は、7歳の頃からずっと傍らにあった。原点はその頃に水面を撮影した1枚。写り込み(反射)の加減で上下の判別ができない奇妙な仕上がりに、強烈に引き込まれた。「小さく切り取っただけの四角の中に、こんな広い世界があるのか…」と心奪われた。
今も上下を逆にしたりする構成が好きなのは、そのルーツがあるからかもしれない。
当時は、カメラ好きだった祖父の影響でありとあらゆる物を撮影して幼少時代を過ごしていた。セルフタイマーで自ら被写体になって撮影の研究・検証するのにも夢中だった。
次第に撮影を通してたくさんの人を幸せに、そして個々の魅力に気づいてほしいと強く想うようになった。実際、マタニティやヌードの撮影を始めて、写真をきっかけに自分を大切にするようになったお客様に出逢い、想いが確信に変わった。
それぞれの人が抱える光も闇も含めて、これからも撮影に真摯に向き合っていきたい。それは、カメラを介して社会とつながることができる私にとっての最上級の喜びであり使命である気もする。
煩雑な現代だからこそ、自分自身をおざなりにしないでほしいと切実に思い、それが写真の役割の1つだと信じている。
付記。私がカメラと出会い約30年近く経ち、祖父と不思議な再会を果たした。先月、写真について学生さんの前で登壇するというお話をいただき、招かれた先の学校の創設者が祖父だったのだ。飾られた祖父の写真と対面し、なんとも感慨深いものがあった。
「よくここまでやって来れたな」と言われた気がした。
▲祖父が作った学校に招かれた。壁に飾られた祖父の写真と対面。(クリックで拡大) |
|
|
次回は和多田アヤさんです。
(2022年2月16日更新)
●連載「女子フォトグラファーの眼差し」のバックナンバー
第33回~
第1回~第32回
|