▲「ビルの谷間から望む皆既月食」 東京の空は狭い。けれど、私たちにも同じようにその雄大な姿を見せてくれた(Nikon D750/Nikon 80-200mm)。(クリックで拡大) |
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▲「綿毛の建築物」 Studio POETIC CURIOSITY 青沼優介氏の作品。儚さと力強さが共存する自然の美しさに心を奪われた(RICHO GRⅡ)。(クリックで拡大) |
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▲「江之浦測候所 秋分光遥拝」春分、秋分の日に限り、真っ直ぐに門を貫き茶室を照らす朝日。1年に2度だけ訪れる美しい瞬間を、写真に閉じ込めたかった(SIGMA fp/SIGMA 24-70mm F2.8 Art)。(クリックで拡大) |
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●高揚と後悔
ふと、目にした他愛もない光景が「美しい」と感じた瞬間、湧き出る感情。
「自分のものにしたい」
「この感動を誰かに伝えたい」
「いつでも思い出せるように残したい」
そんなすべてを叶えてくれるものが、カメラであり写真だった。カメラさえ持っていれば、いつだって、心が動いた光景を切り取って持ち帰ることができる。
人間でも、動物でも、風景でも、物でも、心が揺さぶられた瞬間に被写体となり、地球上はおろか、月や星も含めれば、宇宙までもがその対象となる。こんなに楽しい遊びを他に知らない。15歳で一眼レフを手にしてから、時間もお金も呆れるほど費やし、夢中で写真を撮り続けた。
そうして、数10年が過ぎ、写真を生業とする身となった今、答えが出ない悩みの中にいる。それは、目にした光景が美しければ美しいほど、儚ければ儚いほど、写真に撮るべきか、この目に焼き付けるべきかを選択できないのだ。
頭上で弾ける目が眩むほどの花火、果てしなく続く水平線から差し込む一筋の朝日、最高潮に達したフロアに向けるアーティストの眼差し。ファインダーを覗き、持てる技術を駆使し、気持ちよく切り取れた時の高揚感は格別ではあるものの、体ひとつで目の前の光景に集中し、生まれた感情に酔いしれ、自分の記憶に深く刻むことも、何物にも代え難い経験になることは確かだ。
どちらをとっても、多幸感に包まれながらも、薄ぼんやりとした後悔の念が芽生え、もやもやとした気持ちが纏わりついて離れない。
そうして答えは出ないまま、カメラを手に、今日も心が動く場所へと歩き出すのだ。
次回は大塚まりさんです。
(2022年1月20日更新)
●連載「女子フォトグラファーの眼差し」のバックナンバー
第33回~
第1回~第32回
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