▲2020年7月16日。おじちゃん宅の玄関から。(NIKON D700)。(クリックで拡大) |
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▲2020年9月5日。2度目に会った時、使えなくなった愛機を見せてくれた。ようやくカメラに心を向けられたタイミングなのかもしれない。(NIKON D700)。(クリックで拡大) |
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▲2021年1月31日。カメラを持って会いにいった。(NIKON D700)。(クリックで拡大) |
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▲2021年1月31日。家のそばの球磨川を一緒に見に行ったとき。ここで暮らし続けることを選んだ。(NIKON D700)。(クリックで拡大) |
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▲2021年7月12日。仮設住宅の前で。少しずつ、確実に前へ。(Sony α7C)。(クリックで拡大) |
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●泥に汚れたカメラ
2020年、熊本で大きな水害が起こった。
“災害のない暮らし”は、なかなか日本では難しいわけだけど、
地震以外は大抵備えられる。備えられるが被害はある。
2020年の豪雨災害はコロナ渦の中。
避難も戦々恐々、支援されても戦々恐々。
復興が進まなければ未来に戦々恐々。
県外の公式ボランティアは受け入れないという判断により、ボランティアの担い手は県民に委ねられた。
幸い、熊本地震を機に災害復興の技術や知識を持った人が多くいるし一般の人でも知恵や経験がある。
「あの時助けてもらったから」と経験を役立ててサポートをすることができた。それでも、復興は遅れ、隅々までは支援が行き渡りづらかった。
支援が十分だろうがなかろうが、時間は流れる。
大事なものをなくしたって「その後」がどんどん迫ってくる。
豪雨水害から2週間ほどで出会った、写真にうつるおじちゃんは
「何もかものうなった(なくなった)」と力を落とした。
おじちゃんの家はドロドロになり、書籍も膨大な写真も、受け継いできた大切なものも、あらゆるものがどうしようもなくなった。
それでも、自分の家はさておき、心に蓋をしながら地域のことに奔走していた。
私がおじちゃんに初めて会ったのは、そんな時だった。
2度目に会ったとき、
泥に汚れたカメラを手にしながら、
これはいつ買った、何を撮ってきたか説明してくれた。
思い出して話してくれるときの嬉しそうな表情。
そして泥まみれのカメラに目を戻せば、やるせない表情。
元気になってもらいたかった。
彼にとって、生きるモチベーションが見つかることを願っていた。
次に会った時、私は父から譲り受けた、使わないフィルムカメラを渡した。
使えるかは分からないけど、と。
会うたびに、彼の目は色を取り戻していった。
避難所生活から仮設住宅へ移り、心の傷が少しずつ癒えたり、未来が見えてきたからだろうか。
一番最初に会った時から、ずいぶん若返ったように見える。
最後に会った時、仮設住宅の脇につくった菜園で野菜を採りながらおじちゃんは言った。
「まだ写真は撮ってない。でもあのカメラは撮れると思う」
おじちゃんの心を元気にできたわけでも、何か復興の役に立てたわけでもないけれど、
「撮りたいものが見えた時に、撮れる状況」は、小さくて大きな希望につながることがあるかもしれない。
そろそろまたおじちゃんに会いに行こう。
次回は山本美千子さんです。
(2021年10月11日更新)
●連載「女子フォトグラファーの眼差し」のバックナンバー
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