▲2018年7月撮影。Canon 5D Mark III。(クリックで拡大) |
|
|
▲2021年5月撮影。SONYα7 III。(クリックで拡大) |
|
|
●シャッターが押せない
私写真は偏愛の表れとはうまいことを言ったもので。
「愛」ではなく「偏愛」なのだ。
偏愛は、愛にもなりうるが、自分よがりなエゴにもなりうる。
2018年7月某日。まだ誰もマスクなどつけていない、真夏の新宿。この日の私は、路上生活者の方と話がしたかった。大勢の人が通り過ぎていく傍ら、⼀緒にビールを飲みながら、1 時間ほど会話をした。「格好良く撮るから、ポートレートを撮らせてもらえないですか。」と頼んだら、嫌がりつつも応じてくれた。
私はこの写真がとても気に入った。尊厳を表現できたと思った。
思った。私が、思っただけだ。
あれから、新宿に訪れる時にはいつも、彼のことを思い出す。オリンピックの準備で賑わう新宿にも、コロナで閑散とした新宿にも、彼を⾒つけることはできなかった。
かつて彼がもたれかかっていた壁に貼られた無機質な文字、乱暴な落書き。
そこかしこに座り込む路上生活者を風景の⼀部として通り過ぎる人々。
それらを⾒て悲しくなったと同時に、気がついてしまった。
私の行為は、この日私が押したシャッターは、彼にとって銃で攻撃されたようなものだったのではないだろうか。愛という思い込みのエゴのもと、私は1枚の写真を撮ったのだ。
今でも私は写真を撮っている。
しかし、以前のようにはシャッターを押せなくなった。
そこに心が動くのか。どう感じているのか。相手にとってそれはどういうものなのか。
何度も自分に問うている。相手を見ている。
シャッターを押す前に。
もうすぐまた、夏が来る。
私はまた、新宿で彼を思い出す。
次回は千葉愛子さんです。
(2021年7月9日更新)
●連載「女子フォトグラファーの眼差し」のバックナンバー
第33回~
第1回~第32回
|