▲「車がない動物園の駐車場」撮影地:多摩動物公園。撮影機材:マミヤ7。(クリックで拡大)
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▲「動物がいない動物空間」撮影地:井の頭自然文化園。撮影機材:マミヤ7。(クリックで拡大)
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▲「人間がいない社会空間」撮影地:日本東京都美術館。撮影機材:マミヤ7。(クリックで拡大)
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●関係性の美学についての探求
静岡・伊豆シャボテン動物公園の実話から。2020年1月、46匹中12匹のリスザルが行方不明になった。1匹でも2匹でもなく、12匹だった。
猿は盗まれていたり、売られている可能性もある。檻に壊れた跡はなく、防犯カメラを確認しても不審な人物はいない。動物園には水と食べ物がたくさんあるし、日当たりもよく、動物園より快適な場所はない。なぜ猿たちは行方不明になったのか。管理者は、猿山の裏側に大きな穴が開いていることに気づいた。猿に逃げられたかもしれない。
新型コロナウイルス感染対策で、世界ではたくさんの動物園が閉鎖されている。訪問者のいない日々が続いている。確かに猿たちは、いなくなる前いつもと違い少し退屈そうだったし、歩き回ったりしていた。猿たちは本物の人間を見たいのに、人間世界に入ると人間空間にも誰もいない。
私たちは動物園に行くと、人間の消費欲求から疎外され幻影の鑑賞者となる。人々は動物と対面すると、無意識に可愛いや怖いなど簡単な言葉を口に出してしまう。象徴的な図を機械的に見ているだけである。
我々の生活の周りを見ると、すべてのモノが情報であり、1つひとつの情報が集まっては巨大なデータベースになり、利用されている。しかし、動物たちにとって訪問者の存在は重要で、その代わりになるものはない。
本作品は動物園から猿が逃げ出したというニュースを切り口に、人間と動物の見る・見られるという関係が変化していることを小説のように撮影、表現した。私の作品は主に人と周りの物事の関係性をテーマにして制作している。
20世紀に入り、モノの存在意義が根本的に変わってきた。生活は膨大な情報の集合体になり、すべての情報を視覚的な言語に変換した。本質は「見ること」と「見られること」である。私の理解では、生活の中の風景とは、視覚的な言語で感情を表現することやその視覚の裏に暗示された社会関係である。
関係性は一方通行ではなく、それぞれの立場でそれぞれの見方があり、関係性とは双方向的なものと考える。複雑な関係性を研究するつもりではなくて、当たり前と思われている日常生活の意識を、観覧者がもっとも理解し消化できる形で伝える。
日常に潜む当たり前なことに目を凝らすことで、当たり前なことをもう一回考えると、新しい発見があるかも知れない。
次回はritsuko matsushitaさんです。
(2021年3月12日更新)
●連載「女子フォトグラファーの眼差し」のバックナンバー
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