田舎で、散歩する姪と父。(Xperiaで撮影)。(クリックで拡大) |
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隙間の空いた蔵と、使われる日を待つ木々や耕耘機。(以下すべてCanon 5D MarkⅢで撮影)。(クリックで拡大) |
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急に全速力で走りだす猫。(クリックで拡大) |
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草木が生えて、自然へ還っていく田。(クリックで拡大) |
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●自然に包まれて、暮らす。
帰省した田舎で姪と父が散歩をしていた。姪が急に駆けだして砂利道で転びそうで、父が慌ててあとを追いかける。
冬の静寂を破り、田が徐々に姿を変えていく。野山は瞬く間に春めきだす。姪は一緒に散歩すると、すこし怖がりだけど、花や蝶々、鳥など、いろいろな生きものに興味津々だった。橋の上でどこか柔らかな風が強く吹くと、それを感じてとびっきり嬉しそうに微笑んだ。
家の傍らに佇む、ものをしまう蔵。すでに古くガタは来ていたが、東日本大震災の時に壁に隙間が空いてしまった。クワやクマデなど農具をはじめ、杵や臼、古い梅干し、いろいろなものが入っている。
蔵の隣にある耕耘機や立てかけられた木々は、使われる日を待ちわびている。
猫も野生に生きる。何かを感じ急に全速力で走りだし、じっと獲物を追いつめ食し、川や田で水を飲み、草むらに寝ころんで、のびのび暮らす。けれど時に、ほかの動物に襲われる、農薬入りの水を飲むなど、さまざまな危険も潜んでいる。
実家の猫も半年ほど帰らない。しばらく旅をして深傷を負って戻ったことがあり、また帰ってくる気がしてしかたない。
耕す人を失い、草木が繁り、自然へ還る田畑がぽつりぽつり現れる。
昔は大勢で働き、皆で畦道に腰かけ休んでいた。今は1人黙々と働く人が増え、高齢になり、田畑は作り手を失う。寂しく問題も生まれる。
けれど昔々、人がその地を借りて耕す前の姿に還っていくようで、ただの悪いこととも想えない。
自然のありのまま生きる姿は、人にも大事なものを呼び覚ます気がする。初めは草木や猫の“野生”に魅かれ追っていた。今はそっと自然や動物の“息づかい”を写したい。そして人も含め多様なつながりも写せたらと想いはじめた。
どこに暮らしても、時には、太陽、土、風、自然の拡がりを感じたい。厳しくも豊かに包まれる自然に畏敬の念を抱き、愚かさもあるけれど温かくつながる人も大切に想う。
そうして生きるなかで、大事に想うものを写していけたなら。
次回は永冨恵子さんです。
(2019年7月12日更新)
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