▲増富ラジウム温泉郷に向かう道。OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡで撮影 |
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▲濡れた石肌からしたたる雨滴が、殺されてしまった狼の無念の涙のように思えてきた。OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡで撮影 |
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●狼の民話を訪ねて
ニホンオオカミは、およそ100年以上前の明治38年(1905年)に捕獲された個体を最後に、学術的には生存の確認がされておらず、絶滅したといわれています。それでも山中での目撃情報や咆哮を聴いたという体験談が今でも後を絶たず、何十年も熱心に探し続けている方たちもいます。かつて日本にたくさんの狼が棲んでいたと知って驚いた私は、興味を抱いて調べ始め、NPO法人ニホンオオカミを探す会の会員にもなり、代表の八木博さんのご協力を得て、今でも目撃情報の多い奥秩父の山域の探索や、三峯神社をはじめ荒川源流域に点在している狼信仰の神社を訪ね歩いたりしてきました。その一方で、古い文献などを探して読みふけり、中でも当時の人々と狼との関わりを伝えてくれる民話や伝承に心惹かれ、姿の見えない獣の存在を思い描いています。
狼にまつわる昔話の中でも、「送り狼」の伝説は日本各地に遺っています。そんな「送り狼」のお話を伝える石像があると聞いて、晩秋のある日、私は山梨県北杜市へ訪ねてみました。それは、秩父多摩甲斐国立公園内の瑞牆(みずがき) 山の麓、増富ラジウム温泉郷の本谷林道沿いに建てられている比較的新しい狼の石像です。石像のそばに建てられた説明の碑文を要約すると以下のような内容が書かれていました。「江戸の昔、村人が夜に提灯の明かりを頼りにこの本谷林道を通ると必ずひたひたと後をついてくる気配があり、立ち止まって振り返ると姿がない。妖怪かと思いお祓いや祈祷をしても効果がない。ある日、大きな狼が罠にかかり、人の後をついてくる気配はこの狼が人を襲って食べようとしていたからだと結論づけて狼を殺してしまった。すると気配はついてこなくなったかわりに熊やイノシシに襲われるようになった。そうなって初めて村人たちは狼が夜道を送ってくれたことで他の獣や魔物から守られていたんだと気づいて手厚く葬った」。
ドライブの当日は晴れ女の私には珍しいほど霧深い冷たい雨の日になったため、まさに、今にも狼が出てきそうな気配が漂い、当時のことを想像してみるにはうってつけのシチュエーションでした。帰りに立ち寄った増富温泉郷の土産物屋の食堂でメニューにあった「鹿うどん」を注文し、店の女主人に今オオカミの石像を見てきたことをお話しし、やっぱりこの辺りには昔オオカミはたくさんいたのですか? と尋ねてみると、「昔は沢山いたようですよ」というお返事でした。
日本の山間部の農村では、日常的に悩まされていた畑を荒らすシカやイノシシを退治してくれるオオカミは山の神のお使い、守り神として敬われ、大切に祀られてきました。狼信仰の神社では、狛犬の替わりに狼の阿吽の像が祀られていることが多くあります。朽ちかけているものもあり、必ずしも生物学的に正確な狼の骨格や体型に基づいて作られているわけではないのですが、貧しい山村の暮らしから人々が必死の思いで工面して寄進したお金で建てられたであろうそれらの像からは、守り神としての狼の功徳にすがりたい当時の人々の切実さが窺い知れます。この増富温泉郷の狼の石像は、狼信仰の守り神として建てられた狛狼像ではないからこそ、かえって現代の山里のシカ、イノシシ、サルなどによる食害の深刻さを物語っているように感じられます。
私のニホンオオカミのプロジェクトは今年、手製本の写真集の販売を始めたことで、まずは一区切りを迎えたのですが、これからもライフワークとして、日本各地に残る狼の民話や痕跡を丁寧に取材し続け、後世に伝えていきたいと思っています。
次回は福本美樹さんです。
(2017年6月19日更新)
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