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リレーコラム
女子フォトグラファーの眼差し

本ページは、女性フォトグラファーの皆様によるリレーフォトコラムです。カジュアルなプライベートスナップから作品まで、仕事とも一味違う、リラックスしたパーソナルショットを拝見できればと思います。カメラはiPhoneなどスマホもOKです!

 

第128

顧夢

顧夢(コム):1994年中国杭州生まれ。2020年3月東京造形大学大学院デザイン研究科卒業。同年4月から明治大学大学院理工学研究科建築・都市学専攻総合芸術系に入学、現在博士後期課程に在学。写真の詩学をテーマに制作および研究を行っている。2020年から個展を多数開催し、今年論文「『影』の再発見――鷹野隆大の〈影シリーズ〉を中心に」を発表した。
https://www.allylgu.com/
Instagram:@allyl_gu


 


▲photos in my room 1 (クリックで拡大)
 
  

▲photos in my room 2 (クリックで拡大)。
 

▲photos in my room 3 (クリックで拡大)。


▲photos in my room 4 (クリックで拡大)。
 

▲photos in my room 5 (クリックで拡大)。


●ゆるやかな帰郷


・忘れられた写真
4月に引っ越しをした。長い間使われていなかったものたちが、取り出されて箱に詰められた。そして、新しい部屋で開梱されることを待っていた。先日開梱した箱の中には、5、6年前にプリントした写真がたくさん入っていた。私はそれらの写真を1枚1枚見ていった。写真に写っている光景や、写真が撮られたときの出来事、そしてそのときの自分を懐かしいと思った。でも懐かしさだけでなく「こんな写真を撮ったことがあるのか」という驚きもあった。

「写真は記憶の運び屋」だと言う人もいれば、「写真を撮ることは忘却に等しい」と言う人もいる。私にとっては、写真はその両方だ。あるもの、あるいはことを撮影するのは、その「もの」あるいは「こと」と自分の間にカメラを置くことであり、距離を置くことでもある。だから、写真を撮るのは、そのもの、ことをありのままに体験するのを妨ぐ。したがって、写真を撮るのは、そのもの、こと、それ自体についての記憶を変形させ、忘却の深淵に落とす危うさを持っている。

しかし、写真があるから、私はそのもの、ことについての記憶を忘れたことに気づく場合もある。あの写真がなければ、私はあれについての記憶に対する忘却それ自体さえも思い出せないかもしれない。

経験したことをすべて覚えていられる、博識な「記憶の人フネス」のような人は、小説の中にしか存在しないだろう。忘却は、人間が生きている上で、常に行われる重要な現象だと思う。また、それは意識的にコントロールできないものである。私たちの忘却は、多くの場合、私たちの意見を聞かずに、自由自在に発生している。そう考えると、人間の忘却と写真の視覚的無意識は、似ている気がする。

これはおそらく10年前に撮った写真である。使用したカメラはオリンパスμ1だと思うが、画面の右下の光漏れから判断すると、すでに故障して使えなくなっているミノルタのX700であるかもしれない。撮影場所は、故郷、杭州のとある花鳥市場だと思う。時期は大学時代の夏休み。夏の午後、屋外は暑苦しく、地下1階の花鳥市場は冷房が効いていて、空気は複雑な動物と植物の匂いを伴って湿っていた。エスカレーターの近くの小部屋の一角に、小さな箱が並べてあった。そのなかに1つにハムスター(?)たちが、気絶しているように寝ていた。

この写真を日本の大学院受験のためのポートフォリオに入れようとしていた。ポートフォリオのタイトルは「故郷」である。それは、当時の私の研究テーマでもあった。「私が探求したいのは、地理的なふるさとではなく、精神的なふるさとなのです」と私は当時の指導教員に話した。だけど結局、この写真はそのポートフォリオにも他の作品にも使うことはなかった。

長い歳月を経て、この写真を新しい部屋で再び目にしたとき、私の身体の中で何かが震えた。それが私の探し求めていた「故郷」であるかどうか、私にはまだ分からない。ただ、自分が撮った写真を一度忘れてもいいじゃないかと思った。

・撮れなかった写真1
5月中旬にゼミのみんなと一緒に会津の山に行ってきた。大内宿の旅館に泊まった。その夜、動物園にいる夢を見た。夢の中で、サルは危険な動物だとはっきり意識していた。だから、サルのエリアを避けようと思った。しかし、動物園を出ようとしたとき、あるドアを開けたら、サルのエリアが目の前にあることに気づいた。柵の外にいたサルが、私に向かって走ってきた。私はすぐにそのドアを閉め、隣のドアを開けた。しかし、サルはすでに私に気づいていて、そのドアの外の道路から追いかけて来た。そのとき、昨日、村で出会った水道栓担当の長髪長髭のおじいさんが、夢の中では動物園の飼育係に変身して現れた。彼は片手に箒を持ち、片手にサルの手を握って、私に帰るように合図した。しかし、もう1匹のサルも私の存在に気づいた…。

翌日東京への帰り道で、私たちの車は時には山中の木と木の間を、時には山と川の間を走った。ある道を走っているとき、左側の青々とした生い茂る草が少し揺れた。私は瞬時に、その茂る草のなかに茶色がかった灰色の毛の、赤い顔のサルを見た。「サルだ!」と私は叫んだ。そして瞬時に、昨夜の夢でサルを見たことを思い出した。そのサルの写真を撮りたかった。しかし、カメラを構える前に、車はすでに走り去っていた。

・撮れなかった写真2
ある日、用事があって新百合ヶ丘の三井住友銀行に行った。駅の北口にハトが何羽か集まっていた。私はハトが大好きで、よくハトの写真を撮るので、カメラを手にしてハトの方へ向かった。そして、エレベーターの角を曲がったところに、車椅子に乗ったホームレスのおばさんがいた。彼女の椅子には荷物がたくさん掛けてあった。ハトは彼女を中心に広がっていた。おばさんの椅子、肩(?)の上に乗っていたハトもいた。おばさんは、私が彼女を見ていることに気づいた。そして、私に微笑みかけた。右側のガラス窓から、光が入ってきて、彼女とハトを優しく照らしていた。その光景に私は深く感動した。私は彼女にうなずき、足早に立ち去った。

その時、カメラが私の手のなかにあった。引き返して、その光景を撮りに行くかどうか躊躇していていたが、結局撮れなかった。いまでも、時々あの「写真」を思い出す。でも、撮れなかったことに後悔してはいない。その「写真」は独特な形で、私の人生のなかのもっとも重要な「写真」の1枚になっている。


次回は松田真生さんです。
(2024年6月11日更新)



●連載「女子フォトグラファーの眼差し」のバックナンバー
第33回~
第1回~第32回

 

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