▲庭園美術館の窓、作品『浮舟』より。(クリックで拡大) |
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散歩中に見た窓、iPhoneで撮影。(クリックで拡大) |
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作品《彼岸》より。(クリックで拡大) |
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散歩中に見た窓、iPhoneで撮影。(クリックで拡大) |
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散歩中に見た窓、iPhoneで撮影。(クリックで拡大) |
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●窓
帰り道や散歩中、いつもいろんな窓に惹かれてしまう。
どの国にいても、気付いたら知らない家の窓を見ていることが多い。これは子供の頃からだったと思う。「一人っ子政策」の影響で両親も過保護になり、一人で過ごす時間が少なかった。部屋にいる時、いつも向かいの家の窓を見ていた。中国では、リビングのカーテンを閉めない家が多く、そのおかげで彼らの生活が目に入ってくる。同じ構造の部屋が十数階にあり、内装は好みによってそれぞれだが、テレビが同じチャンネルになっていることがある。その光景は少女だった私から見て、まるでパラレルワールドのようだった。
日本人の家は、ほとんどの窓にレースカーテンが引かれている。こうして光を取り入れながらもプライバシーを守る。外から部屋が見えなくても、薄手のカーテンが垂らしてある様子を私はいつも美しく感じていた。カーテン越しには暖色の照明や家具のシルエットしか見られない時が多いが、私はいつもぼんやりと部屋の中身や住人のことを想像し、それで満足している。
君は橋の上に立ち
風景を眺めていた
風景を見る人は階上で
君を眺めていた
明月は君の窓を飾り
君は他人の夢を飾った
窓を見る行為から詩人の卞之琳(ベン・ジリン)の「断章」を連想してしまう。自分の窓が他人からどう見えるのかを気にする人は少ないと思う。私は他人の窓を見つめるのが好きだが、いくら見ても住人を知ることができない。まるで私が「此岸」にいて、「彼岸」の風景を眺め続けているようだ。
次回は李 響さんです。
(2024年4月5日更新)
●連載「女子フォトグラファーの眼差し」のバックナンバー
第33回~
第1回~第32回
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