▲「Untitled」。某植物園。(クリックで拡大)。使用カメラ:ソニーα7R II(以下同じ)。
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▲「Untitled」。某動物園。(クリックで拡大) |
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▲「Untitled」。某動物園。(クリックで拡大)
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▲「Untitled」。某山。(クリックで拡大)
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▲「Untitled」。某植物園。(クリックで拡大)
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●どうして写真撮りたいだろうか、久しぶりに考えてみた
物語性、日常の循環、行方不明者と行方不明の風景、即興的な編集、アイデンティティ、写真とドローイングの境界線、抽象的な存在を実体化するなど、さまざまな切り口から人間、社会、精神にまつわる状態に対する姿勢をカメラで撮っておきたかったかもしれません。
1年ぶりカメラを抱えて、旅に出ました。人間に飼われている動物、人間に飼われている植物、社会に飼われている人間、無意識に被写体としてメモリカードに残っていた、自分と似たようなものばかりだ。現象世界の残酷な柔軟性を画像として残し、非自由からもたらされた鈍感さを極力治癒したいのだろう。私は自己と他者の和解の方法を探ろうと試みに来た。
動植物の像を身体の内に容れる、像を用いた動植物へ接近。呼び起こされるリアリティが私のリアリティになった。大切な体験だ。1年前まで、こういった仮想体験にはまった私はだんだん現実を感知できなくなった。
今も同じく、たまに虚構、架空の軌跡を巡り制作していた。何もできない私へせめて想像力を起動せよ。鳥籠の中の私(生き物)にささやかな知覚をください。こう考えていた小雨の日、涙が止まらなくなった。写真を撮る理由、正直分からない。直感だろう、本能だろう、そもそも形而上の問題ではない。カメラが手元にあるから、天気がいいから、愛する人と話してるから、シンプルな出来事だ。判断がつかない。
「自分」と「場」、この両者からどのような視覚的パラドックスが生じ、どのような表現領域が可能になったのかを命題の1つとして、いつか抽象化された文脈から物質性を喚起させたい。そして、私が計測可能な範囲を広げて、広げて、もっと官能的になれるだろう。
これからも私は引き続き、上流へ漕ぐ、下流へ漕ぐ。
次回は村田真知さんです。
(2023年12月14日更新)
●連載「女子フォトグラファーの眼差し」のバックナンバー
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