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神が潜むデザイン


第47回:良質な諦め/清水彩香


「神は細部に宿る」と言いますが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた作品を紹介していただくとともに、ご自身のこだわりを語っていただきます。リレーコラムですので、執筆者には次の方にバトンを渡していただきます。




Designer FILE 47

清水彩香(しみずあやか):アートディレクター/グラフィックデザイナー。
1988年生まれ。2012年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒。2017年独立。グラフィックデザイナーのための環境配慮研究所「Lab. for E.G.」始動。
社会への責任を持てる、意義あるものだけを作りたいと願い、「自然と健やかさ」「東洋の伝統文化」「社会課題」「芸術と文化」にまつわるデザインにのみ関わっています。関わる方々と対等に話し合いながら、可能な限り環境に負荷を与えない方法を探り続けています。
http://ayaka-shimizu.com

●地域の仕事

地域に作られる宿泊施設や飲食店のデザインに関わる機会を、多くいただいています。その際はいつも、その地域に根差すものづくりを採用できないか、というところから考え始めます。

拠点の離れた企業が、オーナーやプロデューサーとなる場合もあり、わたし自身も東京のデザイナーです。わたしたちは、その地域がこれまでずっと大切に培ってきた風土や技をいただいて、お借りして、仕事をさせていただく立場なのです。
だからこそ「地域を利用したデザイン」ではなく、どうにか「地域と発展するデザイン」に落とし込めないかを模索します。それに、その地域に、ちゃんと自分ごととして関わってくださり、見守ってくださるかたがいるということは、事業の寿命も長くなると思うのです

●藤織りとの出会い

京都の海側に位置し、天橋立を擁する宮津に、この春、「mizuya」というホテルが誕生しました。その、ロゴやサイン、各種アイテム類、Webサイトなど、デザイン全般を担当しています。


宮津駅ほど近くにできたホテル「mizuya」(クリックで拡大)。https://mizuya-kyoto.com/

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この仕事が始まった際も、まずはその土地を知るため、周辺の自然やものづくりが感じられる場所を巡りました。その内のひとつとして、丹後郷土資料館も訪れました。数々の伝承や出土品とともに、古代から伝わる織物文化についても触れられていて、言わずと知れた丹後の名産であるちりめんの横に、「藤織り」という見慣れない織物がありました。絹織物と並べて見るとなんとも素朴なその織物に、心を奪われました。

山から刈ってきた藤蔓の皮を糸にして織り上げているから、布の質感は「木」そのもの。藤の生命力がそのまま布に宿っていて、この布に花が咲いたり、鳥が住んだりしても、なんだか受け入れてしまいそうでした。

ぜひサイン制作に協力いただけないかと思い、この技術を伝承している藤織り作家・坂根博子さんにご連絡をして、工房「凪」を訪問しました。織物が作られているのは、おだやかな内海に面した美しい民家。


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工房の中には、坂根さんによって織られた藤織りがたくさんあるのですが、全て同じ藤から作られているとは思えないほど多種多様でした。

広がる景色と、途方もない手間ひまをかけた藤織りの美しさは言うまでもなくすばらしいものでしたが、何よりも、坂根さんのものづくりのありかたに感銘を受けました。藤は自然が生み出したものなので、当然、蔓によって色彩も柔らかさも異なります。それにあらがわずに、受け入れ、いつくしみ、自然の声を聞くことからものづくりがスタートしているように感じられたのです。どこまでを坂根さんが作り、どこまでを自然が作ったのか、誰にも線を引くことができない、曖昧で感動的なグラデーションがありました。



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●ホテル「mizuya」ルームナンバー


坂根さんに織っていただいた藤織りに、坂根さんが紡いで染めてくださった藤の糸で、わたしがナンバーの刺繍をさせていただいた(クリックで拡大)

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9部屋のルームナンバーのために織り上げていただいた藤織りは、大きさも厚みも色もどこか異なり、僅かにうねったりふくらんだりしながら、自由に呼吸をしていました。

●「神が宿る細部」

わたしたちグラフィックデザイナーは、美しいデザインを目指す上で「いかに諦めないか」を重要視しがちですが、神が作った自然物からの提案を、おおらかに受け入れるような精神的な豊かさこそが、実は「神が宿る細部」なのではないかと、ふと思わされました。

そんなことをなんとなく考えていた矢先に、「諦める」という言葉の語源が仏教にあることを知りました。「諦」とは、もともと仏教において「真理を理解し、ありのままに見て、受け入れること」。悟りに至る上で、重要な考え方のひとつです。
現代では「思った通りに行かず断念する」というような、決意の弱さとして捉えられますが、もともとは「本質を見極める」という意味合いだったようです。

清潔で完璧な現代社会の中で、“良質な諦め”をたずさえて、デザインをしていけたら。自分の中でなんとなく漂っていた感覚を、改めてしっかりと捕まえ、認識することができました。


(2025年6月10日更新)

 

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