●「神」を感じるもの
テーマでいただいた『「神」を感じた作品』について、作品というよりは、そのものに出会った時のインパクトまたは衝動、作りたいと思う内的な気持ちのようなものを掘り進んでみたいと思う。
●デザインという初期衝動
油画を学んでいた自分が、あるデザインと出会ったのは大学4年の時でした。デザイン学科前に貼り出されていたのは、井上嗣也さんがデザインされたCOMME des GARCONSのポスター。コンテンポラリーダンサーのマース・カニングハムの足の裏がどんと大写しにされた潔い構図。薄暗い奥に顔がうっすらとのぞく。黒地に映える赤のタイポグラフィー。ダンサーとして酷使された足の裏がとても美しく感じられました。
あまりにも衝撃を受け、職員室に駆け込み「掲示期間が終わったら、このポスターをください!」とお願いして貰い受けました。ファインアートとしての「絵画」から、別軸の「デザイン」という視覚言語に出会った衝撃は忘れません。そこからデザイナーの道を歩み始めました。人生を変えた作品。ずっと飾っていたので日に焼けてしまいましたが、自分にとって大切な宝物です。
「COMME des GARCONS DM POSTER」AD:井上嗣也、撮影:ティモシー・グリーンフィールド=サンダース。(クリックで拡大) |
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●アートブックフェアという初期衝動の集まる場
お仕事としてデザインを進める上で、クライアントさんの要望をまず丁寧にヒアリングします。その方、企業、施設、サービスが何を伝えたいのか、どんな風に在りたいのか、その根底にある初期衝動として強くあるもの。それを探って形(視覚言語化)にし、届けたいお相手に橋渡しすること。それがデザイナーとしての役割と感じ、手を動かし続けています。
ただ、ずっと「誰か」の思いを形にし続けていると、「自分が何を良しとしているか」の判断基準が曖昧になってくる。その曖昧さを払拭して明確にするために、定期的に自分自身の初期衝動に立ち返ることが私には重要なことでした。
作りたい本を作る。コンテンツから企画する。手製本で普段できないことにチャレンジする。そして販売しお客さんとコミュニケーションして反応を直接感じる。最初に参加したのは東京アートブックフェアの前身の ZINE’S MATE(2009年)でした。そこから東京アートブックフェア(ほぼ毎年)に参加し、NY ART BOOK FAIR(2013年、2015年、2016年)、Culture and Art Book Fair in Taipei(2017年)、TAIPEI ART BOOK FAIR(2024年)参加。国内外でのアートブックフェアをベンチマークとして、制作を続けることがモチベーションになっています。
「NY ART BOOK FAIR 2024」。(クリックで拡大) |
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「TOKYO ART BOOK FAIR 2024」。(クリックで拡大) |
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そして何より「アートブックフェア」という場が、誰に依頼されずとも「作りたいから作る」という初期衝動の渦のような場所であること。写真、イラスト、アート、詩、主張、何でも。純粋にその人から出てくるものを形にするパッションと、訪れる本好きの熱意。毎回参加するたびに感動してしまいます。Do It Yourself(DIY)の精神。自分の作りたいものを自分で作れるということ。ものづくりの根幹の歓びのようなものを感じ、自分の初期衝動にも立ち返ることができます。自主制作で本を作る、またアートブックフェアに参加するということは、ものづくりのピントを合わせるために必要不可欠のものになっています。
髙橋励起写真集『POKALDE PEAK / AMA DABLAM』。(クリックで拡大) |
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東京大学大学院総合文化研究科田中純教授退官記念論文集『Spielraum』。(クリックで拡大) |
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キムアルム写真集『Lost Your Phone Number』。(クリックで拡大) |
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●手を動かして生まれる形
手を動かしながら形にすること。粘土で塑像を作るような。デスクトップ上ではできないやり方を試すこと。流通に乗らない本、手が掛かりすぎて少部数しか作れない本。そのようなものを試すことで、逆に通常の範囲内でのできることの幅が広がる。意外とここを工夫すれば実現できるという道が見つかる。ブリコラージュ的に、今あるカードでできるだけ面白いものを作る。
クライアントワークと自主制作。どちらかだけでなく、どちらも両輪で活動していくこと。そのどちらからも学び続けること。長く続けてこれたことの理由の1つだと思っています。
●「神」かは分からないけれど
何が神かは分からない。けれど、ある物事に強烈に惹かれる、または衝撃を受ける瞬間。自分の中に雷が走る。その出会いはいつ訪れるかは分からないが、受け手の準備が整った時に偶発的にやってくる「ある奇跡」。その衝撃を生かすも殺すも自分次第。そこから何を得て、何を行動するかで人生は変わっていくのだと思う。
(2025年1月22日更新)
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