YOKO ONO「青い部屋のイヴェント」(作品集より抜粋)。(クリックで拡大) |
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何もない壁に描かれた1本の線。
「部屋が青色になる迄ここにいること。」の文字。
地平線を思い浮かべると、とたんに部屋は青くなった。
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私たちがなにかを見ている時、「もの」そのものを見ているのではなくそこに置き換えられた「何か」を見ている--そのことをずっと面白いと思ってきました。
前述した作品はオノ・ヨーコの「青い部屋のイヴェント(※)」というインスタレーションであり、記憶はあまり定かではないのですが、おそらく中高生の時に体験したと思われます。
それは私にとって印象深い「見ること(知覚)と認識のあいだに起きた面白い出来事」であり、その後ながく、この出来事について考え続けることになりました。
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「神は細部に宿る」というけれど、デザインにおける「細部」とは一体なんでしょうか?
一般的な用法に則れば、細部とは「細かい部分」「枝葉末節」…つまり、「全体」に対する「部分」ということができそうです。そこには「大きな全体」に対する「小さなもの」、「取るに足らないもの」というイメージが付き纏います。
ここで私は仮に「細部(部分)とは差異のことである」と、定義してみたいと思います。
ポール・ランドの言葉にならって、「デザインとはかたちと内容の関係性である」とするならば、内容と関係を持たない(差異を生まない)かたちは存在せず、かたちの差異はつまり内容(認知や認識)の差異であるはずだからです。
たとえば以下の2つはどちらも「円」の要素が大きく全体を構成していますが、先端の部分がそれぞれ違います。
2つの円の微妙な差異。(クリックで拡大) |
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その僅かな差異によって受け取る意味やニュアンスが大きく変わること、それはグラフィックデザインにおけるごく基本的な前提でありながら、同時に「細部に神が宿った瞬間」とも言えるのではないでしょうか。
情報にかたちが与えられることによって認知や認識に影響があるというだけでなく、かたちを変化させることで、情報の質にも変化が生じる--しかもそれをデザイナーが意図的に行えるとしたら--それはまさに、受け手の認知を完全に掌握する=デザイナーが神になった瞬間、のようなことに思えます(もちろんそのことを手放しで肯定するつもりはありません。当然ながらそこにあるのはデザイナーの暴力的な欲望でもあるからです)。
同時に、「細部」は細部としてのみ存在することはできず、常に全体との関係によってその存在を問われるということにも気づかされます。その点において、全体に対する「部分」もまた「差異」の1つであるといえるのです。
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「だれもが文化でつながる国際会議2024」ポスター。(クリックで拡大) |
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思えば、私はずっと「差異」についてを考えてきたのかもしれません。
最近の仕事から1つご紹介します。これは「だれもが文化でつながる国際会議」という、芸術文化による共生社会の実現を考えるカンファレンスのメインビジュアルです。高齢者、障害のある方、外国にルーツのある方、赤ちゃんや子どもなど多様な人々がいる社会の中で、誰もが必要な情報にアクセスできるということと、それぞれの知覚を楽しむことを両立できないかと考え、さまざまな色覚によって見え方が変化するビジュアルを提案しました。
一般的な色覚では見えづらい色の差異が特性によってはハッキリと見えることがあり、またその逆もあります。そのことを利用して、見えてくる「CWT」の文字が色覚の特性によって反転する、という仕掛けになっています。
色覚特性による見え方のシミュレーション。(クリックで拡大) |
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私の見えやすさは誰かの見えづらさであり、逆もまた然りということ。私たちは、同じものを見ていてもまったく違う世界を見ているのであり、関係性によって見えているものの意味は変化します。「差異」について考えることは、デザインについて考えることでもあり、また「世界」について考えることでもあります。
しかしながら、私たちが同じ空間にいながら異なる環境を知覚していることは、本当は豊かなことであるはずです。
私たちはどうしたら自分と他者との「差異」について、もっと考え想像することができるのか、どのようにして「差異」とともに生きていけるのか、かたちを生み出し伝達することを生業とする者の責任として、グラフィックデザインには何ができるのでしょうか(あるいはできないのでしょうか)。私は造形的な「差異(=細部)」に着目することで、世界に存在するあらゆる「差異(=個別性)」を考えたいのだと思います。
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※「青い部屋のイヴェント」は主に文字によるインスタレーションの作品群なので、線と言葉は別々の作品だった可能性があります。ただ私の記憶の中では上記のような体験だったのです。よくできた誤配の一例として、当時の記憶のままに記しました。
(2024年12月23日更新)
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