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神が潜むデザイン


第35回:細部への個人的回答/矢後直規


「神は細部に宿る」と言いますが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた作品を紹介していただくとともに、ご自身のこだわりを語っていただきます。リレーコラムですので、執筆者には次の方にバトンを渡していただきます。




Designer FILE 35

矢後直規(やご なおのり):1986年静岡県生まれ。2008年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。2009年博報堂入社。2014年よりSIX所属。東京ADC、JAGDA新人賞、D&AD、NY ADC、ONE SHOWなど受賞。


●細部の魅力

このコラムでは「細部」について書かなければいけないのだが、僕は細部の話は苦手で…、なるべく細部について考えたくない。だって細かいところを気にしすぎると頭痛くなっちゃうし、デザインもすごく時間がかかるし、なんかちょっと重箱の隅をつつくような嫌な奴になっちゃうし。例えば、線の細さは0.2mm、0.5mm、1mmこの3タイプを使用して、デザイン全体を構成していこう! 一貫したルールができた! って思ってデザインをすすめていくと、ちょっと待って、いつの間にか0.225mm、0.61mm、0.95mmになってる!! どこから!? いつから!? みたいなことが起こる。なんか変な変形かけちゃったのかな~…。全部揃えるの相当めんどくさい、やめるかって。だいたいこんな始末になってしまいます。

でも「細部に神は宿る」まさにそうだ。素晴らしいグラフィックデザイナーの仕事に触れると、ぐっと顔を寄せてその細部が見たくなる。細かいところに技が効いていて、全体のクオリティにすごく影響している。そういうデザイナーの話を聞くのがすごく好きだし、ものすごく説得力がある。そのデザインに納得してしまうための強い裏付けになる。これがグラフィックデザイナーの強さか。学生のときにブロックマンのグリッドシステムを見たときとか、すごいきれいだな~って思ったもんな。エミル・ルダーもすごかった、けどルダーの方がもうちょっと感覚的で共感できた。


ブロックマン「グリッドシステム」の表紙カバー。

エミル・ルダー「Typographie A Manual of Design」の表紙カバー。

●ノイズやエラーが含まれた細部

僕は僕なりの細部への答えを出さなくてはいけないのだろう。僕はおおらかでありたい、笑いながら仕事がしたい。なるべく早くデザインを出すことでいろんな人の意見を集めて次のデザインに昇華したい。偶然起こったこと、自分や他人のミスを受け入れたい。それを楽しく料理して、ほら! ミスってすっごくクリエイティブだったね! って言いたい。

マクルーハンの「メディアはマッサージである」とか最高。ああいうおおらかさを持ちたい。というか、自分が本当に細かいミスをしやすいから、細部に対しておおらかな態度でいて、自分がミスしたときのカバーを予めしておきたいのではなないか、と自分自身について思ったりもする。だから僕にとってはノイズやエラーが含まれたそれが僕の「細部」なんじゃないかと思う。セザンヌの「赤いチョッキの少年」も右手が変にびよーんって伸びてるから重力を感じていいのではないか。あれはエラーっていうより演出だと思うけど。


マクルーハン「メディアはマッサージである」の表紙カバー。

 


セザンヌ「赤いチョッキの少年」 。

そういえば、バタフライエフェクトって、あれは宇宙物理学のようなすべてが計算で成り立つような世界観に対するカウンターだったんじゃないかって思う。計算で成り立つなら、僕ら1人ひとり生きている個人は何も影響せず無関係なまま世界は進んでいくはず。けど、バタフライエフェクトは、そんな小さな1人ひとりが世界に影響できる可能性を示してくれたんじゃないか。僕は計算外の「細部」が全体の結末に影響をもたらすような、生命の讃歌のようなそんなクリエイションをしたいんじゃないか。

●humane error

それじゃあ僕ができる「細部」へのこだわりって具体的にはどんなことだろう、と2020年くらいから考え始めた。その結果、手描きで絵を描くときに出る手の擦れや汚れをそのまま残そうとか、PCでマスクを切るときになるべくきれいにせず雑に切り抜こうとか、なるべく僕の身体性がそこに残るようなアプローチをした。

PCでマスクを切るとき。(クリックで拡大)

PCでマスクを切るとき。(クリックで拡大)

これは僕が作ったぞ! この年齢のこの体型の今日のこの天気の今朝の食べたもののこのコンディションでしかこうならない線だぞ! というような主張をビジュアルの細部に盛り込んでいった。これは動物が縄張りを示すために行うマーキングに近いなと自分で思いながら、自分の証を刷り込んでいった。

そして次は、手で描いたものをパソコンに取り込んで、PC上でどうやって身体性を残せるのか、というアプローチに変化した。これは自分の娘の絵をスキャンして、彼女の線をドットに置き換えてグラフィックを構成するという作品。まだ3歳だった我が子は、自分の力を上手くコントロールできずに、筆圧が強くゆっくりペンが進むところと、筆圧が弱く速くペンが進むところが入り混じった線を描いていた。

僕は筆圧が強いパートにたくさんのドットを置き、筆圧が弱いところにはあまりドットを置かないようにして、彼女の絵をトレースした。つまりPCの世界でしかできない手描き表現を作り出したかったんだと思う。

PC上でどうやって身体性を残せるのか。(クリックで拡大)

PC上でどうやって身体性を残せるのか。(クリックで拡大)

その次は、線だけ自分で描いて、PCにスキャンし、PC上で着彩をするというやり方を試してみた。このときはマーカーで着彩しているようなイメージにしたくて、自分が紙にマーカーで着彩しているときのイメージを思い出しながら塗り残しや、はみ出す部分を作っていった。どうやって細部までこだわって作ってない感じに、細部をコントロールできるか、という挑戦だった。

PC上で着彩をする。(クリックで拡大)

PC上で着彩をする。(クリックで拡大)

そして画面に現れる「細部」への、僕なりの回答だけども。今は人の手がキャラクターが起こすエラーだろうという答えにたどり着いている。そうだな、名前をつけるとしたら「human error」か。でも意味が違って捉えられるなあ。人間らしいことを肯定したいから「humane error」とかかなあ? 名前つける意味あんのかって感じだけど、名前がついてることが重要な気がする。

インタビューとかトークセッションとかで「僕はこのことを『humane error』って呼んでるんですけどね」とか、「『humane error』という考え方をしていてですねえ」とか言ってみたい。かっこいい! かっこいいじゃないか!! はあ、今日もデザインがんばろっと




(2024年4
月12日更新)

 

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