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神が潜むデザイン


第32回:自然と在り続くこと/宮田裕美詠


「神は細部に宿る」と言いますが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた作品を紹介していただくとともに、ご自身のこだわりを語っていただきます。リレーコラムですので、執筆者には次の方にバトンを渡していただきます。




Designer FILE 32

宮田裕美詠(みやたゆみよ):ストライドアートディレクター。富山生まれ、富山在住。有限会社クロスを経て、2002年よりフリーランス。
http://www.stride.me


●富山に続いてきた素敵なこと

地方で細々とデザインの仕事をしていて、刺激を受けるのはいつもデザイン以外のこと。富山に生まれからこのかた数十年、何の野心もなく、のうのうとずっと富山に住んでいます。ここで暮らしていて素敵なことやもの、人に出会うと、デザインでアウトプットしたい衝動に駆られます。誰に頼まれてもいないのに、取材し、企画展示し、書籍にまとめたりするせいで貧乏になる一方です。

●続く祭り

山の中で、引き継がれてきたお面、衣装、踊りや動き、その目に見えることと同じくらい魅力に感じた、「毎年繰り返す自分たちのための行為」。富山県魚津市小川寺の獅子舞は、神が満載の魅惑の伝承行事です。数年前に、住民がひっそり続けているこの祭りに魅了され、紹介する展示を企画しました。神が宿るというよりは、神を祭っている行事でしょうか。地元であるにも関わらず、このお祭りを知ったのがつい数年前。県内にこんな素敵な祭りがあったのかと、がくがくと震え、衝撃をうけました。すぐに物書きの友人に連絡し、取材を開始しました。

私が知らなかった理由には、当事者たちが宣伝しようとしていないからということが大きいと思います。場所、お面、衣装、踊りはもちろん素敵なのですが、一番心をつかまれたのが、当人たちも自治体も、だーれも観光化して儲けてやろう……などと考えていないこと。

もちろんディレクターもデザイナーもいない。ただただ、この地域に住む自分たちのために続けてるということです。知名度を高めようとか、集客しようとか、映えようとか、まったくしようと思わない。自治体が観光ポスターを作ったり、広告宣伝などいっさいなし。この踊りや謎のルール、お面の引き継ぎや笛の練習など数々の準備を、純粋に自分たちのためだけに続けている。

そんな人たちがこの世に存在するなんて。自分のことしか考えていない貪欲な私は、この無償の愛にときめかざるを得ないのです。

この祭りが続くことに、人の暮らしにある底力や美意識を感じ、魅了されます。背の高い杉に囲まれた、隣り合った寺と神社に響くお経が印象的な年に2回のメインの獅子舞の他、年明けに食事をしながら行われる火祭りや、お面を預かる面宿と言われる担当者の大晦日前の深夜の引き継ぎなど。

すごくかいつまんで書きましたが、このどれもが素敵なんです。語彙力なくて申し訳ありません。見にきてください。まさに、この祭りのそこかしこに神が存在しています。無造作に公民館の玄関にある、縄で編んだぞうりでさえも美しい。「日本人の手仕事に神が宿る」ってこれのことかと実感。

そこに込められた願いとか、当たり前のように参加することだったりとか、地元の人にとってルーティンになっている、「ただ、ただ、在る」ことに美を感じます。多分、良く見せよう、とかカッコよく踊ろう、とか考えないところに存在するんじゃないかと思います。準備や練習、本番を取材し、展示する際、私財を投げ打って本にまとめました。


「小川寺の獅子舞者グラフ」展示にあわせて、書籍にまとめました。(クリックで拡大)
 


祭りで練り歩く演者。この動きにも魅了されました。(クリックで拡大)

祭りはもちろん、準備や練習の様子などに立ち合わせてもらい掲載しています。(クリックで拡大)

●続く包み

人が自然を取り入れて成される洗練された手仕事は、日本特有の文化であり、美意識の原点なのでしょうか。そういえば、富山ならではの神が宿るデザインといえば、鱒寿しのパッケージではないかと。

江戸時代に現場に近いかたちになったこの郷土料理を商いとする鱒寿し店は、今でも富山に数十店舗あるようです。お土産品や駅弁には珍しく(そうでもない?)、県民も大好きなこの郷土グルメ。商品も包みも、材料が地元で手に入らなくなっているという問題を抱えるものの、基本的な素材や包み方は変わらず。外装の材料やデザインに新しいタイプの商品はありますが、基本的には、笹で包み、わっぱと呼ばれる木製の曲物にいれ、竹で押し寿司のように留めるものが主流。

この、自然に還る素材でできたパッケージは、何度見てもその度に、凄いなあ、この現代でよく存在するなあと、もはやありがたいなあと思います。奈良や和歌山、石川などにある柿の葉寿しの包みも、色や折りの美しさに、心の底からうっとりし、幸せな気持ちになります。大袈裟ではなく本当に。

鱒寿しのこの包みは、もはやパッケージやデザインというより、風土が生んだ工藝という気さえしてきます。素材を知り、活かし、円状に規則正しく包む様は、磨き抜かれた日本の表現技法と言うと大袈裟でしょうか。笹は梱包してるだけでなく、風味づけにもなっているので、もし笹を使用しなくなったら味まで変わってしまいます。この美しい、暮らしにもたらされていた奇跡的な仕事が、今にもなくなってしまうんじゃないかと怯えて暮らしています。


富山の名産、ます寿し。竹とわっぱで梱包されるパッケージ。(クリックで拡大)

笹で包まれているのはどこのお店もほぼ同じ。(クリックで拡大)


容器の天地をひっくりかえし、蓋に笹に包まれた寿しをのせて笹を広げたところ。(クリックで拡大)
 

●暮らしに在る手間ひま

祭りを続けるための、面宿の交代とか、丁寧に作られた衣装とか、裏の仕事が美しい点や、丸いものを自然にあるもので手間をかけて包んでいくとか、細部に魅力があるところが日本人ならではの美意識なのかな、と思います。

デザインよりも前から存在する日本のものづくり。これを超えるデザインは、私には到底できそうにないことは承知しており、せめてもっと誠実にデザインをしていかないとと思います。自然にあるものに、丁寧に最低限の手間をかけて、機能させるようなデザインやものづくりをできるようになりたいです。


(2024年1
月18日更新)

 

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