●「物」を恋う身体
これまで携わってきた本づくり(書容設計、組版)の仕事で、平面上のデザインよりも物質として立ち上がる書容デザインに惹かれてきました。自然に身についていた物質感本位の志向を理屈づけたことはありませんでしたが、最近得た、音楽作品のメディアをめぐるトピックスをきっかけとして考えてみようと思います。
ここ数年、新しい音楽作品がレコードやカセットテープとして盛んにリリースされています。CDでリリースされた旧作もレコードとして再プレスされ、「アナログ化」と称されて奇妙な感覚を覚えた人も多いでしょう。今や音楽はデータとしてパソコンやデバイスの中にあり、実体は見えなくなったという潮流をやっと理解したところだというのに。
大きなジャケットにライナーノーツも入り、データから実体へ、時代を遡行するこの現象にはどのような原因が隠れているのでしょう。音質か、ジャケットの存在感か。単なる懐古的動きではないだろうと、幾人かに聞きましたが釈然としません。
そんな折、レコードジャケットのデザインを依頼してくれた音楽関係の友人から出てきた1つの答えは、私を驚かせました。「人間には物欲があるから」。この文脈で聞いた物欲という言葉は、時流とは関係しない普遍的な人間の欲求として、はじめて直接に了解されるものでした。
なるほど、元来、人は物を恋う。だから一方では、場所をとらずどこへでも膨大な音楽ライブラリと移動できるデータの利便性にあやかりつつ、それと矛盾を感じることなく、カラフルなビニール盤や磁気テープが回るカセットの物質感に、多くの人が目や耳や身体をよろこばせているのでしょう。
そのようなアナログ化は、ヒトがふたたび物質の快楽や美を見出した大事な契機ではないかと気づかされます。あるいは、実体の薄いデータに囲まれて久しく、物質的な直接性を欲したといえるかもしれません。先にいう物欲が、実に素朴な本能として実感できました。
そもそも人間は身体、フィジカルな存在です。ヒトの身体の延長としてこの時空のあらゆる物は存在します。それが自然なあり方であり、フィジカル=「アナログ」であり、快感・快美なる物体を人間は求めるものであるようです。
「人間には物欲があるから」という友人の言葉は、私が本作りの仕事で考えざるを得なかった問いに対しても端的な答えとなりました。
ここ10年あまり、本をとりまいて飛び交った「電子」か「紙」かという問い。本の世界でも、デジタルとアナログそれぞれの利点と適応が考察されてきましたが、一番の実りは、電子書籍(リーダー)の登場によって、それまで自明となっていた紙の「本」の特質が事後的に明らかにされることにあったのではないでしょうか。
ここで詳細には触れませんが、つまり、手に本を持ち、ページを行き来し、印や書き込みをしながら読むこと。たたずまい、質感、手触り、重さをもつ紙の本。本とアナログ読書は、人間の身体と感覚の延長として快い物体、行いであるということが、デジタル化を経てあらためて認識されたのです(*資料1)。
以上のことは、本づくりにおいて自分が平面のデジタルデザインよりも物質感に魅力を感じてきたことと無関係ではありません。画集や詩集、それぞれの作品にふさわしい判型から検討をはじめ、本文用紙と印刷、装本の素材と加工、そうした物質的プランをつめて雛形を作り、でき上がりの実体感を確認する。この書容設計に重きを置くことが、自分には大事です。
たずまい、質感、手触りがコンテンツを予感させる本(=物体)の仕立てを立体的に掌握することができる。またこの段階で、表紙も本文組版も全体に動機の通ったデザインが不思議とまとまる。内容と書容に齟齬のないデザインは大事です。わけても美術、言語美術の本は、快美な物体でなければなりません。
●物質的ノイズに宿るものーー印刷と紙工
音楽メディアのデジタル/アナログのトピックをもうひとつ。自分はレコードの時代、大きなステレオによる音圧や、シーという音溝の摩擦音、プツッと針が拾うノイズすら好み、イコライザーを上げてシャリッとした音質でレコードを聴いていました。
CDになった時には何と均質で薄い音だと感じたものですが、誰に聞いてもデジタルが断然に音質が良いのだと言われました。ところが最近読んだ記事によれば、レコードは物質的ノイズとともに再生されるため、ノイズによって音に奥行きが出るのだといいます。この理屈は、前述のようなレコード体験から直感として分かります。
レコードは振動による音信号という物理的な仕組みであることから、音の歪みや細かい雑音が含まれてしまうのですが、その物理的歪みやノイズこそが、音に奥行きとひろがり、立体感をもたせ、自然の音質として心地よく、音圧をともなって良い音に聴こえる。一方、CDでは通常、元の音源が同じでも、音のゆがみ、ノイズをばっさりカットして音調整されるため、雑な音がまったくない純度の高い音質である分、フラットな音に聴こえるそうです(*資料2)。
この話も、デザインのデジタル/アナログの性質の違いに通じ、物質感本位の感じるところを擁護してくれるように思われます。グラフィックデザインや書容デザインにおいても、制作、製版、印刷工程など、ほとんどがデジタル処理で行われ、印刷の主流はオフセット(=平版)。歪み、ノイズのないDTP製版、凹凸のない刷版、厚みのないCMYKインク、今やもっとも合理的かつ薄っぺらな印刷法に思われますが、ページ数のある本文やカラー図版にはこれよりほかは選べず、完全デジタル制作の本になります。また、少部数の場合は、もはや版が存在しないオンデマンド印刷(データから直接プリント出力)も、オンデマンド出版という形態まで生み出してよく利用されるようになりました。
けれども、予算が許せば本文も特色刷りの活版や樹脂凸版で刷ることもまだ可能ですし、表紙、カバー、函などは、素材を吟味しつつ、オフセット印刷以外で現在可能な印刷、紙工をしつらえることもできる。たとえば、シルクスクリーン印刷、リソグラフの特色多色刷り、近年はガラスや石など素材を選ばないUV印刷。箔押し、空押し、浮き出し、型抜きなどのエンボス加工。
そのような、平面デザインよりも素材の質感、物質感のちからによる書容デザインへの志向。それは、紙や素材にこだわり、「版」の存在にこだわることでもありました。視覚というよりフィジカル=「アナログ」の快さ、均質ではなく自然とノイズが発生するような物質的印刷手法は、アナログレコードの音質と同じ次第で、物質の奥行き、広がり、立体感をもたらします。
下に、アトリエで制作させていただいた本から、いくつか例を挙げてみます。素材と印刷加工による物質感を伝えることができるでしょうか。
『メゾン・ブランシュでの休暇』 ウニカ・チュルン、宮川尚理訳、ガレリア・アミカ、2001年。表紙カバーはスミと白の2色箔押し。本文(図版入り)も全ページ樹脂凸版印刷。写真右は箔の金属凸版。(クリックで拡大) |
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『銀幕』 中島夜汽車・句、書肆蜃気楼、2014年。やや小振りの角背上製本の裸本とし、少年が懐ろに隠したナイフのような銀の本に。銀紙はこれでなければと、製函業向けに卸される用紙を特別に分けていただいた。背と表紙に濃紺箔押し。本文は、濃紫色の特色1色刷り。(クリックで拡大) |
『虜われ人の閨房のなかで』ナディーヌ・リボー、松本完治訳、山下陽子画、エディション・イレーヌ、2014年。紫色で筋柄が刷られた表紙の板紙は、製函・包装紙向けの用紙を特別に分けていただいたもの。表紙と背に、スミ箔・紫箔押し。本文は、グレーのラシャ紙に菫色の特色1色刷り。製本は、スクラム製本の本文と薄い背を作った板紙表紙を手製で三点糸綴じを依頼。(クリックで拡大) |
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『散歩者の扉』並装版、佐々木聖、山下陽子画、edition SHISH。詩・画・造本の三者の相談により、かなり縦に長い判型で2つ折のカード数葉に、それぞれ言葉と画を配置し、リボンと筒函に収める形態に。函は黒のビロード合紙で揃え、タイトルなどを金箔押し。(クリックで拡大) |
『薔薇の回廊』 A・P・マンディアルグ、松本完治訳、山下陽子挿画、エディション・イレーヌ、2012年。エロティックな短編作品から、カバーはレース状の黒い紙を選び、背と表紙にタイトルをピンクの箔押し、その他を白箔押し。本文は、全部濃いピンクの紙を用い、スミ1色刷り。この並製と同時に特装本を制作。薄いピンクの引き出し函、ツマミを薔薇型のガラスボタンとし、タイトルなどは背に題箋貼り。本体異装版、オリジナル版画付き。(クリックで拡大) |
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『巴里ふたたび』 アナイス・ニン、松本完治訳、エディション・イレーヌ、2012年。オフセット印刷でも、特色インクの刷りは、アミ点ではなく100%のベタで刷れるため、好んで使用。こちらは特色3色。特色のなかでも金・銀・白・オパークインクはバックを透過せず塗りつぶすため、インク厚盛りになるのが利点(クリックで拡大) |
『花と果実の紋章』 ポール・エリュアール、佐藤巌訳、山下陽子銅版画、エディシオン・アクネ、2006年。本文を活版印刷、挿画を色インクの銅版画で印刷、という詩画集を制作し、同時にふさわしい夫婦函を制作すべく、作家が見つけた色染め和紙(雁皮紙)を用い、白く透ける雁皮紙に樹脂凸版刷りの題箋貼り。もっとも華奢で角の立った夫婦函の設計見本を渡して製函を依頼。(クリックで拡大) |
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『純粋思考物体』 河村悟、テテクイカ、2022年。「純粋思考」という言葉を標榜する詩人の断章集に、白く透明な物体を目指して。純白の厚いボール紙を表紙・背表紙として、本文も純白の書籍用紙。表紙は大きくタイトルと著者名を透明箔押しのみ。帯は銀紙に白刷り。その上から透明フィルムのカバーをかけ、背タイトルと帯の欧文フレーズを黒でシルクスクリーン印刷。製本はもっとも開きのよい製本、コデックス装。(クリックで拡大) |
最後に、ごく最近取材を受けたブックデザイン書籍の主意書によれば、今、印刷された本は「紙の本」と呼ばれて、合理的に規格化された一様な書籍形態を越えようとする小出版の動きが顕著であるといいます。電子書籍と相対することで本が「紙の本」と呼び直され、新たに捉え直されることは、本が多様な物質感を取り戻すことにつながるでしょう。それは音楽メディアと同様に、あらためて物質を発見する「本のアナログ化」ともいえる動きになるかもしれません。
たとえば、DTP以降に活版印刷が引き継がれているのも、DTPを経てのアナログ化です。活版や凸版にヒトが感じ求めているもの、それをアジのひとことでしまうのではなく、身体感覚による官能なのだと考えなくてはいけない。美は物体に宿り、身体がそれに官能する。それを銘じて本づくりを続けていけたらと思います。
*資料1
「紙の本が電子書籍よりも優れていることを示す数々の研究報告」
『GIGAZINE』Webサイト(2022年2月7日記事)
*資料2
「アナログブーム到来!いまさら聞けないレコードとCDの違い」
『ボンジンミュージック』Webサイト(2022年2月11日記事)
(2023年1月12日更新)
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