●マックス・ビル「コンクリートアート」
「神が宿るデザイン」。
そんなものがあるのだろうかと目を閉じると、心に浮かんできたのは、家に掛かっていた3つの作品。
物心ついたころから居間に飾ってあったのは、マックス・ビル(1908年-1994年。スイスの彫刻家、建築家、工業デザイナー)の作品。タイトルも制作年も分からないが、ビルが「コンクリートアート」と呼ぶものの1つだと思われる。シルク印刷。
数種類の三角形で構成されている作品だ。正方形3つ分の色面が、正方形4つ分のスペースに配置してある。なるほど。右端の2つの三角形を空いている空間にはめると……ぴったり!! その際、いつも隣りに同色がくる。
下の大きな平行四辺形は、上の正方形を伸ばせばできる? できない?? これらは四角い白い紙の真ん中に配置されているわけではない。幾何学的な作品なのに、どこか動きや遊び心を感じる。
この人は、さまざまなバリエーションを作って、これを作品として選んだのだろうか。ぼーっと眺めながら、あれこれ考えたことを覚えている。
デザインを仕事にする父は、検証中の案件を壁に貼って見比べ、考える。壁が足りなくなると、この額にも遠慮なく貼っていく。額にセロテープの跡がたくさん付いているのはそのためだ。
仕事が片付き、貼られていたものが外されると、またマックス・ビルが顔を出す。忘れた頃にまたあれこれ考え、感心する、ということを繰り返した。赤、青、緑の3色だけで、なんて多様な効果を生むんだろう。
マックス・ビルの絵画「コンクリートアート」。(クリックで拡大) |
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●ジョン・ケージ「ENINKA 34」
目を閉じて浮かぶ2つ目は、ジョン・ケージ(1912年-1992年。アメリカの音楽家、詩人、思想家)の作品。作品の箱に記載された情報によると、タイトルは「ENINKA 34」。1986年の作品。モノプリント。
我が家に来たのも、その頃なんだろうと思う。マックス・ビルが外され、ジョン・ケージが掛かった。地震で中の絵がずれてしまっているので、今回、床で撮影。
コーヒーのシミのような跡、燃やされて歪にあいた穴が、生成りの紙面に広がる。なにやら印刷物からの文字の転写もうっすらと見える。あいてしまった穴は、どこかの大陸のようにも、そらを飛ぶ鳥のようにも見える。
見ていたものがふと違うものになる、俯瞰する距離や位置がぐんと変化する感覚を楽しんだ記憶がある。砂漠のような、乾いた色を眺めるのは心地よかった。
私でも作れるんじゃないか? とも思った。火をつけて、それから消せばいい? 熱いものを置いてみる? 何かをこぼした? 新聞の跡はどうやって??
燃やすという原始的な、乱暴な行為で、かつ閑散とした世界だけれど、この紙面に明るさも感じていた。
ジョン・ケージの絵画「ENINKA 34」。(クリックで拡大)
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●上羅芝山「波」
目大きな絵をかけられる壁は家に1つしかなかったので、時々掛け替えられる。
次に浮かぶのは上羅芝山(1926年-1995年。書家)の書、「波」。
父が上羅氏よりプレゼントされたものだ。一見するとまったく読めないように思うが、「波」と聞くと見えてくる。海の勢いを感じる形だ。
上羅芝山の書「波」。(クリックで拡大)
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父が、ある会社社長の挨拶状で使用するために書いていただいた上羅氏の一連の書も、私は大好きだ。作品集『シュミット タイポグラフィ』(グラフィック社 2022年)に掲載されているので、ぜひ書店で手に取っていただきたい。
これらの作品が私の心に留まったのは、「宿った神」の仕業なんだろうか。
次回は羽良多平吉さんの予定です。
(2022年8月19日更新)
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