●「はらぺこあおむし」だった学生時代
大学生の頃、そして卒業後の数年間、デザインに関して私は多神教徒だった。趣味は、美術やデザインの専門書店に通い、そこでカタログや参考書を立ち読みし、学生には少々高価なデザイン年鑑を思い切って買ったり、親に頼んで「デザインの現場」や「アイデア」などの雑誌を日本から取り寄せたりしていた。
当時の私の神様の中には、ヤン・チホルド、オテル・アイヒャー、デイビッド・カーソン、ネヴィル・ブロディ、ヘルムート・シュミット、田中一光、葛西 薫、原 研哉、三木 健、中島英樹、立花文穂などがいた。多種多様だった。今考えると「デザインの神様」は尽きることがなく、増える一方だった。
「Director and Designer Scan」のシリーズから。葛西薫、八木保、中島秀樹は学生時代、一時帰国の際に買って帰った作品集。何度も何度も見入った本。今開いても、当時の感動が蘇ってくる。(クリックで拡大) |
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ドイツの出版社Büchergilde Gutenberg。このタイポグラフィの特別版を購入するために会員になった。タイポグラフィや本の装丁に魅了されて購入した本。学生にも頻繁に見せる本だが、まだ読んでいない…。(クリックで拡大) |
太田幸夫 『PICTOGRAM DESIGN』(1993年)。日本語と英語、バイリンガルでまとめられているピクトグラムや記号に関するこの本は、学生時代からのお供。オット・ノイラートの情報デザイン、ピクトグラム、南部めくら歴などさまざまなコンセプトに触れることができた、私にとって今でも重要な参考図書。(クリックで拡大) |
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Haarmann, Harald『Universalgeschichte der Schrift』(1991年)。世界の文字文化(歴史とシステム)に関するこの専門書は、私が学生時代に初めて自費で購入した本の1つ。文字システムへの関心、そして日本の文字システムをどのように分かりやすく国際的に解説できるかについてこの頃から考え出していた。現在も参考にしている本。(クリックで拡大) |
その頃の自分はエリック・カールの「はらぺこあおむし」のように貪欲で、デザインのインスピレーションをエネルギー源にしていたんじゃないかと思うほどだった。それは「はらぺこあおむし」が1つひとつの食材を最後まで食べ切ることなく、美味しいところだけをかじって次に行く行為と似ていた。
Carle, Eric『Die kleine Raupe Nimmersatt』。エリック・カールの『はらぺこあおむし』(1969年)。子どもの時に親からもらった絵本。おそらく、私がもっとも長く所有している本。ハードカバーの背表紙がボロボロ。珍しく、書き込みも落書きもない。(クリックで拡大)
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今思えば、いろんなデザインに魅了され、感動し、個人的なビジュアルアーカイブをゼロから作り上げていく時期であった。そして、吸収するだけでなく、さまざまな視覚的表現を試す時でもあった。その中で、タイポグラフィが自分にもっとも適する表現手段に思えた。
「タイポグラフィとは、目の好みを追求し、そして誘惑に勝てなくなる情報の視覚化を目指す芸術である。」というオテル・アイヒャーの言葉がある。
「Typographie ist nichts anderes als die Kunst,
jeweils herauszufinden, was das Auge mag,
und Informationen so schmackhaft anzubieten,
dass es ihnen nicht widerstehen kann.」
Otl Aicher
*著者によるドイツ語からの翻訳。
●和紙:日本の紙の文化と美
卒業制作では、個人的に興味のあるテーマ、かつドイツではさほど知られていなかった「手漉き和紙」について研究し、内容をまとめ、本の装丁を手掛けることにした。自分の中のモットーは妥協をしないデザイン。
大学生として最後の作品制作では担当の先生のアドバイスもあり、1年間1つのテーマだけに集中し、印刷部数の制限のため、素材、印刷と仕上げにもとことんこだわった。こんな贅沢な状況は今後のデザイナーとしての人生でも二度と訪れることがないのでは、とすでに感じていた。当時の自分の実力と可能性が許す最高のものを作る決心をした。
その努力が実り、憧れのドイツ・エディトリアルデザイン財団 (Stiftung Buchkunst)のブックデザインコンクールに、ケース入りの2編からなる『Washi - die Kunst und Tradition des Japanpapiers』(和紙:日本の紙の文化と美)で応募したところ、国内のコンペで受賞したのち、2002年の国際コンクール「世界で最も美しい本コンクール」において、最優秀賞である「金の活字賞」を受賞し、文字通り世界でもっとも美しい本に選ばれた。
Takagi, Mariko『Washi - die Kunst und Tradition des Japanpapiers.』 (2001年)。卒業作品として制作した5部のうちの1部。2003年に200部出版した。数年前から廃版。(クリックで拡大) |
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『和紙:日本の紙の文化と美』は、その後の私の人生に大きく貢献し、特別な出会いをいくつももたらしてくれた。中には、学生の時に憧れていた、form+zweck verlag社から出版されていた同名のデザイン雑誌「form+zweck」の編集長Angelika Petruschatとの出会いがあり、そして以後、著者とデザイナーとしてこれまでに手がけた11冊の本の多くがform+zweck verlag社から出ている。Petruschat氏が亡くなった2018年まで、彼女は私の重要な恩師であった。
ドイツの照明会社ERCOとの長年に渡るコラボレーションも、『和紙:日本の紙の文化と美』がメディアに取り上げられたことがきっかけで、若社長からお声がけいただいたのが始まりだ。同社はオテル・アイヒャーがコーポレートデザイン、そしてビジネスのイメージ創りを手掛けていることでも知られている。
他にも原 研哉氏にもお会いでき、作品を知ってもらったこと。田中一光氏の長年のアシスタントであった太田哲也氏と出会い、光朝書体について研究できたこと。
そして何よりも『和紙:日本の紙の文化と美』を含め、11冊の単行本を2、3年おきに制作出版できたこと。夢にもみなかったコンペ出場の結末。
その頃に聞かれた質問の中で、それ以来本や作品を発表する前に思い出す一文がある。
「今後この作品を自分で越えられない可能性が大いにあるが、怖くない?」
アメリカの小説家、エリザベス・ギルバートによる2009年のTEDトーク『創造性をはぐくむには』("Your elusive creative genius")がこのような"15 minutes of fame"*、いわゆる“束の間の名声”によるプレッシャーを見事に解消してくれた。
簡単にトークの内容をまとめてみる。「自分の作品を越えることは意識して繰り返すことができるものではない。創造したり制作することは、世間が想像するようなカッコ良く、幻惑 (glamour) なものではなく、地味な日々の努力の積み重ねである」。
そして、このトークでもう1つ個人的な発見もあった。何度聞いても飽きないこの英語でのトーク、内容だけでなくストーリーテリング、言葉、表現方法、伝え方などに魅了されたことである。このトークを初めて視聴した頃に始まった、自分の中での変化・トランジション、ビジュアルに集中していた関心が、次第にコンセプトや言葉の表現へとシフトしてきたことに気付かされた。
今でもデザインを観賞することを楽しんでいる。そして、時々感じる嫉妬「こんなデザインがしたかった」が、次にデザインする時のエネルギー源となる。ただし、作品を表面的に見て神を感じることは、あまりない。そのドキドキ・ゾクゾク感の引き金となるのは、今では言葉・文章であり、思考法である。
私にとってデザインの意図は、コンテンツと向き合う際に「見えてくる」形を自分の一部となったアーカイブにアクセスしながら可視化していくことである。デザインは人を魅了することのできるとても有意義なツールである。
今の私は、デザイナー・アイドルがいなくなった、無神論者なのかもしれない。
Takagi, Mariko『e/moji graphy-the essence of kanji, visually』(2022年)。今年、2022年の3月に出版した日本の文字文化、文字システムの位置付けについての考察。(クリックで拡大) |
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*Andy Warhol “In the future, everyone will be world-famous for 15 minutes.。
次回はニコール・シュミットさんの予定です。
(2022年7月8日更新) |