Company file

Company file


旧サイト(更新終了)






お問い合わせメール

 

INDEX  イラスト>  写真>  デザイン>  テキスト


神が潜むデザイン


第6回:なんてことないものにこそ、目を向ける/三澤 遥


「神は細部に宿る」と言いますが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた作品を紹介していただくとともに、ご自身のこだわりを語っていただきます。リレーコラムですので、執筆者には次の方にバトンを渡していただきます。




Designer FILE 06

三澤 遥(みさわはるか):デザイナー。1982年群馬県生まれ。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒業後、デザインオフィスnendoを経て、2009年より日本デザインセンター原デザイン研究所に所属。2014年より三澤デザイン研究室として活動開始。ものごとの奥に潜む原理を観察し、そこから引き出した未知の可能性を視覚化する試みを、実験的なアプローチによって続けている。主な仕事に、水中環境をあらたな風景に再構築した「waterscape」、飛行する紙のかたちを研究する「散華プロジェクト」などがある。毎日デザイン賞(2019年)、ADC賞(2019年)、JAGDA賞(2020年)受賞。
https://misawa.ndc.co.jp/


新たな発想を与えてくれるものが好きで集めている。誰がつくったとかは関係ない。実際の用途も関係ない。そのものの佇まいに何故か魅せられるものがあり、身のまわりに置いておきたくなるものがある。家にも仕事場にも置いている。たまに触ってみたり、じっと眺めてみたり。たまに手のひらに乗せて、近くに寄せて愛でてみたり。

四角形のガラスの破片。水が張っているかのように透明なガラスの塊。古い時代の陶器の断片。工場見学でもらったねじみたいな樹脂の削くず。薄べったい紙みたいな石。まん丸の卵みたいな石。石みたいな植物の実。石みたいなサンゴ。丸く穴の空いた葉っぱ。丸型の葉っぱ。指先サイズの小さな矢印サイン。ジャングルジムみたいな木組み。分子模型の部分パーツ…。わたしの収集物の一端である。


収集の一端。役立つものではないけれど、大切な思考の部品)(クリックで拡大)
 

デザインというカテゴリーに当てはまるか定かでないものばかりだ。買ったものもあれば、もらったものや拾ったものもある。私以外の誰かにとっては、なんてことないもの。役に立つわけではないし、便利でもない。むしろ、ごみに見えてしまうかもしれないものだってある。でも見ていると、肩の力が抜けてきて、頭が柔らかくなれる。

「~みたい。もしかしたら~かも。」と、頭が考えることを楽しみ出す。発想する余白を自分に与えてくれる存在だ。収集物は、些細だが大切なものだ。わたしのデザイン思考に必要不可欠な栄養の素だ。デザインする思考へと導いてくれるワクワクが潜んでいる。


机の横の風景(クリックで拡大)

工場見学でもらったねじ状にくるくる巻いている樹脂の削くず(クリックで拡大)

●気づきのアーカイブ

四角に割れた透明の小さなガラス。それは突然、目の前でできた。気に入っている仏の顔写真を入れていた額縁。ある日、設置方法が悪かったようで床に落ちてしまい、その瞬間、表面のガラスが割れてしまった。しかしそれは、想像していたかたちではなかった。とびきり美しい四角形に割れたのだ。突然の出来事に時間を忘れて見入ってしまった。「わ、美しい。」と。

そのときの四角いガラスも収集物の1つだ。割れるという現象を捉えたかたち。しかもそれが、予想を裏切る美しいかたちをしていたのである。偶然の産物であったが、それは「現象のかけら」であり、「気づきのかけら」でもあった。大切な額縁だったので割れて悲しかった反面、未知に触れた嬉しさが溢れた。

最近、仕事でご一緒している国立科学博物館は、未来のために「種の保存」をし続けている。その膨大な収集のスケールやコレクションの質に感嘆した。収集することの重要性を再認識できて無性に嬉しくなった。規模は明らかに遥かに違えど、わたしも「気づきの保存」として、収集をひとり進行している。誰のためでもなく、自分のためでしかないのだけれど。収集・保存したものを俯瞰していると、自分がどこに面白みや美しさを見出しているかが見えてくる。それを新たな視点で捉えられた瞬間、次の制作活動の一歩が踏み出せる。そして、デザインが生まれる。

一連の収集物は、気づきを与えてくれるアーカイブである。その1つに陶芸の破片がある。破片を手に取って想像してみる。「全体は一体どんなかたちをしていたのだろうか」と。もしも。あるいは。それとも。きっと。たとえば。その気づきを与えてくれるかけらを大切にしている。「無いこと」は想像を促す。目に見えないことが創造する力を豊かにしていく。

小さな矢印も収集の1つ。ある展覧会で制作してもらった試作部品だ。「この小さな矢印がサインとして機能する場面を想像すると、どんな世界が考えられるだろう」と頭を巡らせてみたり。「もしも」や「たとえば」を探すところから、クリエイティブはふつふつと湧き始める。


四角に割れたガラスの破片(クリックで拡大)

陶器の破片(クリックで拡大)


小さな矢印(クリックで拡大)

消しゴムのような質感の石(クリックで拡大)


●気づきから想像を広げる 「POSIT」

もしもを置く/あるいはを挟む/それともを重ねる/きっとを詰める/たとえばを収める

「もしも」や「たとえば」を体感する展示をつくりたいと挑戦したのが、2019年に開催した展覧会「POSIT」だ。直径6mmの丸い紙。穴あけパンチで紙に穴を開けたときにできるあの小さな紙を展示の題材に選んだ。まわりに落ちていても通りすぎてしまうような、何でもない存在。そんな誰でも一度は触れたことのある身近なものに目を向け、新しい関係性を再構築してみた。

制作の当初は、紙と溝から生まれる美しい構図を粛々と探り続けてた。答えらしきものが無限にある中で、ちょうどいい配置の加減とそれを見定める感覚をひたすらに研ぎ澄ませていく。そのうちにこれは、紙と溝のバランスの正解を見つけるためだけの行為ではないことに気づきはじめた。板の上に置き、溝の中に収めたのは、可能性を膨らませるための問いであり、前向きな疑いであり、未知に近づくための検証だ。

身近なものに、ミリ単位の小さな世界に、思いもよらない大きな広がりが潜んでいる。「POSIT」という単語には、「~を置く」や「~を仮定する」という意味がある。「POSIT」展は、絶対的な答えを探したのではなく、「もしも」や「たとえば」を広げてみる試みであった。


穴あけパンチで紙に穴を開けたときにできる小さな紙。100通りの方法を展示(クリックで拡大)

(クリックで拡大)


展覧会「POSIT」(2019年)より(クリックで拡大)

(クリックで拡大)


(クリックで拡大)

(クリックで拡大)


(クリックで拡大)

(クリックで拡大)


●気づいていないことに気づく体験「葉っぱ丸」

コロナ禍で、何か家の周辺でできることはないかと考えたのが、「葉っぱ丸」(外遊びのアイデア集「WILD MIND GO! GO!」)というワークショップ。
https://gogo.wildmind.jp/feed/howto/212

実際のところ、葉っぱを丸くくり抜いて、空いた穴に別の葉っぱのパーツをはめてみるという、極めて単純明快なアイデアだ。「葉っぱを描いてみよう」と誰かに試してもらうとする。おそらく緑色の絵の具やクレヨンを手に取る人が多いのではないだろうか。

葉っぱは実際はどんな色だろう? 実際に植物を観察すると、言葉では表せないほど色や質感が豊かだ。同じ木に生えた葉っぱでも、一枚いちまい色が異なる。葉脈のかたちも、虫食いのかたちだって違う。
葉っぱのかたちを丸型に統一してみることで、色の美しさや柄の面白さが鮮明に飛び込んでくる。知っていると思い込んでいる葉っぱが、びっくりするくらい美しく思えたり、なんだか別のテクスチャに見えてきたり、知らない存在に思えてきたり…。きっとハッとするはずだ。自分は身近にある葉っぱのもつ美しさを分かっていなかった、と。

すべての葉っぱには違いがあり、同じものはないという当然の事実。ただ風に揺れる植物を眺めていても、そのことにはなかなか意識が向かない。「自分が手に取った1枚の葉っぱは、他にどこを探しても見つけられない特別なもの」。そう思って草木を観察するだけで、なんだかワクワクしてくる。感動は身近なところに潜んでいる。葉っぱを円型にくり抜いてパーツを入れ替えるだけ。たったそれだけで、身の回りの見方がもしかしたらちょっと変わるかもしれない。


ワークショップ「葉っぱ丸」(2020年/外遊びのアイデア集「WILD MIND GO! GO!」より(クリックで拡大)

(クリックで拡大)


(クリックで拡大)

(クリックで拡大)

なんてことなく当たり前に捉えている物事にこそ、まだ知らない発見があるのではと期待しまう自分がいる。身のまわりにある「気づきのかけら」を粛々と収集し、保存する。それはデザインを考えるための栄養分となり、その先の未知への好奇心をいつも掻き立ててくれる。



次回は大原大次郎さんの予定です。

(2020年9
月30日更新)

 

[ご利用について] [プライバシーについて] [会社概要] [お問い合わせ]
Copyright (c)2015 colors ltd. All rights reserved