人類の知と精神の証は、形その物の中に存在する。その形を人は生涯をかけて追い求めているのだ。
ラスコーの洞窟に描かれている動物たち、円形に巨石が並べられたストーンヘンジ、それぞれの時代、それぞれの神を、その場に降臨させた。これまで人間は人智を超えた神の存在を信じてきた。だから人間にとって神は神秘な存在でなければならなかった。ところが現代の科学は、その神秘の場に光をあて、人間は次第に傲慢になった。人が神の上に存在するがごとき、野蛮な人間が存在し始めたのだ。しかし、私にとっては逆に神に近い人間も存在する。その人たちの手による形の中に神を宿すことは不可能ではない。
●神に近い人たちの手による表現
私が第1に思い浮かべるのは、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのキリストとマリアの聖母子像「サン・ピエトロのピエタ」の彫像である。磔刑に処せられた十字架から降ろされたイエス・キリストを抱く聖母マリア。巨大な大理石の魂の中に、あの像の存在が見え、それを彫り出すとは、人間の業とは考えることはできない。
第2に、私にとっての神はパウル・クレーだ。クレーの絵は、下手くそで稚拙な様に描かれているのだが、クレーの絵ほど、私を悩まし続けるものは他にない。彼の人としての奥深さに、いくら近づこうとしても、すっとその場をかわされる。彼の突き詰めた形態分析、そして色彩。クレーと私との関係は、切っても切ることができない。私にとって愛すべき神的存在なのである。余り好き過ぎて、自分の息子にクレー(呉)と名付けた。
Paul Klee“Six Kinds”(1930年)。(クリックで拡大) |
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第3に、スイス国土地理院の5万分の1地図を取り上げねばならない。その地図は、これまで紙に印刷された、もっとも高品質な最後の印刷物になるだろう。この地図に費やされた努力と時間に神が存在せぬ理由は見当たらない。大自然の中に神の存在を信ずるがごとく、この地図の中に神は存在するのだ。
スイス国土地理院5万分の1地図(1982年版、755×1030mm、左上4分の1の部分)。(クリックで拡大) |
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第4には、1960年に東京で世界デザイン会議が開催され、世界の各地から第一線のデザイナーが集結した。その時まで、私のデザインの世界とは、戦後アメリカから入ってきた、いわゆる進駐軍文化で、エスクァイアとかハーパーズ・バザーなど派手な自動車や化粧品などの雑誌広告が良い手本になっていた。
その時にデパート(たぶん松屋銀座)で、ドイツのオトル・アイヒャー(Otl Aicher、1922年~1991年)のデザイン展が開かれていた。そこに展示されていたモノクロームなパネルに私の魂が打ちぬかれた。それは世の無駄を一切排除した、なんと清潔で美しい、まるで一幅の墨絵を見ているようだ。こんなデザインがこの世界に存在することを知った。
●2人の師、杉浦康平とオトル・アイヒャー
私には2人の師(神)がいる。1人目は10年もの間、膝元で修行させていただいた杉浦康平先生。先生が当時西ドイツのウルム造形大学に招聘され、私も生徒として留学した。そのウルム造形大学のアイヒャー先生が2人目の師となる。私はこの2人の師から私の一生を決定づけられたと言っても過言ではない。
オトル・アイヒャー先生の課題。ミュンヘンの動物園「Hellabrunn」のデザイン計画。タテが規格サイズの2分の1。連続するポスターの試案。(クリックで拡大) |
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Rotisにあるアイヒャー先生のデザイン事務所。(クリックで拡大) |
ウルム造形大学の校舎は、マックス・ビルの設計で、ウルムの街からゆるやかな坂を登った丘の上にひっそりと佇む。まるで僧院の中にいるような校舎。そこで生まれるデザインの形は、確かにアイヒャー先生の手による清潔なデザインであることが納得できる。
アイヒャー先生と植樹している私。(クリックで拡大) |
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アイヒャー一家と午後の散歩。トラクターを運転する先生と、後ろに杉浦先生の顔も見える。(クリックで拡大) |
だから人は、優れた環境の中に自分を置くことがいかに大切なのかを知った。果たして今日の東京という場で優れた環境を得ることが可能であるのか、自問している。
振り返って見れば、私は幸せなデザインの道を歩んできたと思う。今は、この幸せなデザインの歩を、若者たちに伝えるため12年前にミームデザイン学校を設立した。私はまだ、清潔で美しいデザインの形を求め続けている。
次回は平野敬子さんの予定です。
(2020年6月3日更新)
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