●1996年頃から業務用デジタルカメラが登場
ここまでは主に民生機のお話しで、実は1991年にコダックから130万画素の「DCS100」(世界初のデジタル一眼レフカメラで、日本では未発売)が、アメリカで発売されました。デジタルカメラが誕生してから実に16年が経っていました。私はまだこの時代、デジタルフォトは「お金持ちの道楽、アタシは4×5でどんな合成もやってのけるから必要ないわ!」などと息巻いていたものでした。そのうちクライアントさんの1社がイメージセッターを購入。撮影もデジタル化してデジタルスタジオを作りたいので調べてみてくれるか? という意向を受けて1996年頃に早川廣行氏(写真家。ハイエンドデジタルカメラのユーザー団体「電塾」塾長)を訪ねることになりました。
これが私とデジタルカメラの出会いとなり、かれこれ16年くらい前でした。電塾はまだ発足しておりませんでした。早川氏が個人的に開催している「デジタルカメラ勉強会」を雑誌コマーシャルフォトの片隅で発見し、申し込んだのでした。もちろん「早川」という名前さえ存じ上げない時代。ワタシとしては「デジタルってまだまだ[ドット絵]しか出せない未熟者」と思っていたのに、いきなりPictrography3000の出力を見せられて、脳天を打ち抜かれたような衝撃でした。もっとも、Pictrographyを買えば誰でもそれを出力可能なわけではなく、「使いこなしているから」それだけの出力が可能なのだと、後になってから思い知りましたけど…。
初めて早川氏にお目にかかったその帰り道、「早川氏が東のデジタルカメラの第一人者なら、アタシは西の(当時は練馬の西の外れに住んでいました)第一人者になる!」と決心し、それ以来「もっとも早く学習できる方法は一番良く知っている人、そして理路整然と説明できる人に聞くのが一番!」とばかり、早川氏の追っかけをするようになりました。あちらで講演会があれば聞きに行き、こちらでセミナーをやっていれば出かけていく…しかも毎回最前列。お話しの途中でさえ質問を挟み、公演が終了してもさらに食い下がる…というとてもうるさい存在だったようです。
1996年の9月に電塾が「デジタルカメラ学習塾」として発足。私は第2回目から足げく通いだし、以来一度も欠席したことがありません(勉強会には参加できなくても懇親会にのみ参加するという悪しき風習は私が始めたものです…もちろん数少ない自慢の1つです)。
…閑話休題 当時、まだデジタルフォトは一般的ではなく、その頃のデジタルカメラの本道は皆4×5にバックタイプのイメージセンサーを付けて撮影するタイプで、集積技術が今ほど進化していなかったため(それ以前に絵柄として書き出す能力の問題も結構ありましたけど)、せいぜい400万画素程度でした。
ジナーやリーフのシステムが採用していたケーブルだらけの3ショットタイプ(何人が足や手を引っかけてトラブルを起こしたことでしょう?)が数百万円もしていたのです。アナログであれば最高級の4×5カメラでさえ50万円から80万円で買えた時代なのです。
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