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河合俊哉
1978年、石川県金沢市出身。スタジオフォボスを経て2006年独立。Still life photo を中心に広告、雑誌、カタログ等で活動。Truebrary所属。
http://www.shunyakawai.com/
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取材協力:アドビ システムズ 株式会社
All images: ⓒ 河合俊哉
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Profile & Works
●スタジオマンからプロの道へ
−−河合さんは石川県金沢市出身、スタジオフォボスを経てフリーカメラマンとのことですが、まずカメラマンになるきっかけをお話いただけますか。
河合:高校生の頃、家にあったニコンのCシリーズというレトロなカメラで友達や人を撮っていくうちに、写真にはまっていきました。高校を卒業する18歳くらいの時に思い切って一眼レフを買って撮りだしたのが、本格的に始めた瞬間ですね。。
−−最初は趣味というか、好きから一歩前進したような感じですか?
河合:そうですね。一眼レフを買ってはみたものの、思い描いたイメージがなかなか撮れないことがよくありました。それこそDPEショップでL判で紙焼きしてもらう、そういう普通のところから始めたので。
−−当時は人を撮ったり、風景を撮ったりですか。
河合:はい。スナップショットが中心でした。
−−写真の専門知識は学校で学んだのですか。
河合:学校へは行かずほぼ独学でした。写真は趣味の延長上で、カメラマンになろうとは思っていませんでした。
−−当時、影響を受けた写真家や撮りたいイメージはありましたか。
河合:ホンマタカシさんのような、傍観的に風景を撮った写真が好きでした。当時は、HIROMIXさんや佐内正史さんが注目を集めていた頃でした。
−−10年ちょっと前ですね。
河合:そうですね。
−−写真家の道に進むことを決めたのは、いつ頃ですか?
河合:スタジオマンになってからです。スタジオフォボスに入社してプロになったという流れですが、スタジオに入ったのはプロになるというよりも、写真が上手くなりたいという目的でした。しかしすぐに入社することができず、今のマネージャーの五十嵐さんに新しい作品ができれば連絡して見ていただく、ということを1ヵ月に1回のペースで行い、半年くらいかけて面接をしていただき、ようやく入社することができました。
−−スタジオフォボスには何年くらいいらっしゃったのですか。
河合:3年です。スタジオフォボスにはスタジオマンだけで、フォトグラファーはいないので、スタジオアシスタントとして、たくさんのカメラマンの方々にお世話になりました。
−−当時はまだフィルムですよね。
河合:僕が入社した当時はまだフィルムでした。
−−当時のスタジオは、ライティングしてポラを切って、それを見てまたライティングの調整の繰り返しですよね。そういった経験の中から、カメラマンになろうという判断をされたのですか。それともどなたか師匠についたのですか。
河合:師匠にはついてないです。スタジオに入ったことで、次第に商業ベースでカメラマンとしてやっていきたいと思うようになりました。
−−ホンマタカシさんをはじめ、当時好きだったという写真家は作家系の方々で、河合さんはコマーシャルの世界で仕事をされてきたわけですが、作家を目指したいという気持ちはなかったのですか。
河合:スタジオでカメラマンが写真を撮るのを初めて見たときに、衝撃的というか、すごく面白い世界があるんだなということが分かって、自分でもこういった写真を撮りたいと思うようになりました。スタジオにはいろんなカメラマンが来るので、皆さんから人物写真や物撮りなどを学びました。
−−スタジオはある意味学校だったわけですね。
河合:そうですね。スタッフをモデルにして撮ったり、スタッフルームに暗室があるのでそこでプリント作業したり。休みの日には皆でカメラ持ってお互いに撮影しあう小旅行みたいなことをしていました。
−−独立されたのは何年前ですか。
河合:2006年ですから、今6年目ですね。
−−河井さんは物撮り中心ですが、独立されてからすぐにクライアントはついていたのですか。
河合:クライアントはなかったです。本当はファッションがやりたくて、退社前からファッションの作品撮りをしていました。退社後1年くらい作品撮りをしてからブックを持って営業に行ったのですが、仕事に結びつく機会がありませんでした。物撮りは、スタジオアシスタントの時にKaz Arahamaさんを3年間担当させていただきました。当時はまだ物撮りをやろうという気はなかったのですが、撮影をずっと一緒にやっていて、染み込むようにArahamaさんのライトテクニックが分かるようになってきました。
−−Kaz Arahamaさんのご指名でずっとアシスタントについていたということは、河合さんは物撮りに向いていると思われていたのかもしれませんね。
河合:そうかもしれません。ファッションを撮りたい気持ちはありましたが独立して1年くらい経って、あるアートディレクターの方からアルフレッド・バニスターという靴のカタログの仕事で、物撮りができるフォトグラファーを探しているという話をいただきました。そのカタログが雑誌広告になり、それを見たヌメロのアートディレクターが僕をわざわざ探してくれて、10ページの撮影の仕事をいただきました。そこからですね。
−−靴の写真から、物撮りの撮影がどんどん広がっていったということですね。
河合:そうですね。
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▲スタジオフォボスのスタジオマン時代の作品(2006年)(クリックで拡大)
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▲同じくスタジオマン時代の作品 (2006年) (クリックで拡大)
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●フィルムからデジタルへの変遷
−−河合さんはテクニカルな写真が特徴に思えますが、ご自分の写真の持ち味はどこにあるとお考えですか。
河合:当時から自分の好きに撮るといいますか、テクニカルな面もそうですが、物撮りはこうでなくてはいけないというのは崩したいという考えはあります。光は上からこなければいけないわけではなくて、ありえないところから光が来ていたらすごく面白い。そういった一癖をどうしてもやっちゃうんです(笑)。
−−それが個性につながっていくんですね。
河合:物撮りではこれはしてはいけないという常識に、踏み込む勇気が必要ですが。あと僕はフィルム世代なので、撮影のときにその場でほぼ作ってしまいます。ですので撮影の流れがポラの上がりを見る感覚と同じです。時間は掛かりますが、ライティングもなるべくその場で作るように心がけています。
−−そこでしか撮れない1枚へのこだわりは、フィルムの最後の世代っぽいですね。
河合:ポラを見て、自分の想像を超えたことが起きる瞬間がすごく好きなんです。撮影における偶然性はとても大事にしています。
−−本番のシャッターを切るまでにポラは何枚も切るタイプですか。
河合:昔はポラを何枚も何枚も切ってましたね。頭で想像しているのでほとんどの撮影でフラッシュメーターは使いません。ライティングも自分で詰めていきます。
−−通常、何灯くらい使っているのですか。
河合:物にもよりますが、6灯以上は使っています。
−−ライティングテクニックなど、フォボスで身につけたものは大きいですね。
河合:そうですね。いろいろなカメラマンさんから吸収させてもらいました。やはりポラはすごく役立ちました。撮影が終わってから、ゴミ箱に捨てられたポラを改めて見て復習するんです。今はデジタルなので逆に途中経過の写真が見られなくなりました。
−−ご自分ではカメラは何を使っていたのですか。
河合:スタジオマンの頃は、最初に4×5を買いました。あとはハッセルとペンタックスの6×7です。
−−ブローニーから4×5まで一通り揃えたんですね。
河合:当時はカメラを見に行くのがすごく好きでした。
−−カメラマンってハードが好きな人多いですよね。
河合:そうですね。たぶんそこを一番こだわりますね。でも、デジタルになってからはそうでもなくなりました。
−−デジタルで初めて使ったカメラは何でしたか。
河合:キヤノンの5D Mark IIとデジタルバックです。デジタルバックはPhase OneのP25をハッセルCX503に付けて使っていました。
−−現在はデジタルとフイルム、どういった割合ですか。
河合:今はデジタル100%です。
−−まだフイルムもお使いかと思いました(笑)。
河合:僕はフイルムからデジタルへの変遷を目の当たりにしています。フィルムで撮っていた人がデジタルになる瞬間を見ていました。当初、みんなデジタルの勝手が分からなくて撮影が止まっているのも見ていましたし、それこそ大物カメラマンもデジタルに移行していった頃です。MacでいうとG5が出た頃でした。
−−スタジオでは当初から連結撮影ですか。
河合:連結でG5につないでいました。コダックのデジタルバックがあった時代ですから、ほとんどはDCSで、逆にPhase Oneはまだ少なかったです。
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▲フリーカメラマンとして独立した初期の作品から「Numero TOKYO」扶桑社(2008年) (クリックで拡大)
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▲同じく初期の作品から{Cartier」DM (2008年) (クリックで拡大)
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▲同じく初期の作品から「ROCKS」SPBS (2008年) (クリックで拡大) |
●仕上がりは現場でフィックス
−−フィルムの場合は、ライティングを詰めていって最終的にシャッターを切れば終わりですが、デジタルになると、終わりを判断しにくいですよね。RAWデータの現像から、また一仕事始まってしまうので、どこでイメージをフィックスするのかが気になります。
河合:僕の場合はフィルムの時代と撮り方は変わっていなくて、写真はギリギリまでクライアントに見せません。ポラがモニターに変わっただけですね。レタッチが必要であれば、その場で現像をかけて、パパッとレタッチして見せて、OKが出たら、そのまま家に持って帰って細かいところを修正する感じです。なので、仕上がりは現場でみんながOK出したものとあまり変わりません。
−−河合さんの写真には合成のような表現もありますが、レタッチで仕上げているのではないんですか。
河合:水しぶきなどはレタッチです。ただ現場で良いかたちの水の写真と物を組み合わせて、その場で一回プレゼンテーションして確認をとります。そこからはあまりいじりません。必要に応じてイメージを付け足しますけれど、基本は撮影現場で見たままになるようにしています。
−−最初にクライアントと打ち合わせした段階で、ビジュアルイメージはできていて、現場でそれにいかに近づけるかということです。レタッチで変えていくのではなくて。
河合:そうですね。方向性も含めて。
−−レタッチを前提とした撮影の仕方やノウハウは、どこで身につけたのですか。
河合:それも独学です。スタジオマンを始める前から、Photoshopは使っていました。当時からMacが流行っていたので、流行に乗ったというのもあるのですが。5.5くらいから自分でレタッチし始めたので、現在CS6が出ていますが、5.5で学んだことがずっと生きていますね。
−−5.5の当時はフィルムをスキャンしての作業ですよね。フィルムもデジタルも両方好きだったのですか。
河合:そうですね。両方やっていました。スタジオマンになって本格的にフィルムでやり始めてからはしばらくPhotoshopは離れていましたが、独立して、そろそろデジタルってときに、Photoshopを勉強し直しました。
−−Photoshopを個人でお使いになった時代というのは、何のために使っていたのですか。
河合:最初はインクジェットのプリンタを買ったら、Photoshop Elementsが同梱されていたので、試しに使ってみたというノリでしたが、使ってみてこれからは絶対にこれが必要になると思っていました。
−−Photoshopを初めてお使いになられたときはどうでしたか。
河合:5.5の当時はさほど感じなかったのですが、仕事で物撮りを始めてからPhotoshopの威力はすごい感じました。
−−例えば、どういったところでですか。
河合:僕は撮影の段階でいろいろ決めてしまうのですが、撮影のときにはできなかった光の当て方や、ハイライトを出したり、傷を消したり、水の動きを歪ませたり。レイヤーもすごく枚数を使うんですけれど、事細かに調整できるところに威力を感じました。
−−Photoshopを使ったら、さらに深いところまでいけるみたいな感覚はありますか。
河合:それはあまりないです。現場で撮って合成をして詰めてしまうので、そこから詰めることはあまりないです。スピード勝負ですね。
−−現場でほとんどを終わらせてしまうのですね。
河合:せっかくクライアントさんもいるし、これ以上の良し悪しは自己満足の世界になってくるので、現場でみんなが良しとしたものを大事にしたいというのがあるんです。
−−河合さんはレタッチもご自分で行われていますが、それもデジタル時代のフォトグラファーに求められるスキルだと思われますか? これからの写真家ってレタッチも含めたそういったツールの使いこなしも必須なのでしょうか。
河合:どうでしょうか。僕の場合は現場でほぼ完成まで持っていくタイプなので、基本的にはレタッチは自分でします。
−−逆に言うと河合さんご自身が、そこまで自分でやりたいということですか。
河合:そうですね。レタッチャーと一緒に仕事したこともありますが、やはり自分だったらこうするというのが出てきます。
−−自分でレタッチができれば、撮影時のイメージをそのまま定着できるわけですね。
河合:レタッチは感覚的にやっています。例えば、レタッチで向かおうとしていた方向とは別に、偶然できた絵がよければ、それを良しとすることもあります。ようするに経緯を見たいんです。レタッチャーの技術力はとても高いので、常にレタッチャーが隣にいてくれればよいのかもしれないですけれど、それだと効率的ではないですし。
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