●PCJ Interview
・File10 酒匂オサム
・File09 P.M.Ken

・File08 高木こずえ
・File07 太田拓実
・File06 鈴木心
・File05 青山裕企
・File04 小山泰介
・File03 奥本昭久
・File02 常盤響
・File01 辻佐織

●Company File
・File08 アドビ システムズ
・File07 富士フイルム
・File06 駒村商会
・File05 ジナー
・File04 ハッセルブラッド
・File03 シグマ
・File02 フェーズワン
・File01 ライカ

●Overseas Photographers
・File08 Michael Kenna
・File07 Todd McLellan
・File06 Mona Kuhn
・File05 Diana Scheunemann
・File04 Albert Watson
・File03 Nick Meek
・File02 Rankin
・File01 Ron van Dongen
1960年代から国産大型カメラ、ホースマン(HORSEMAN)で一世を風靡した駒村商会。デジタル時代になった今日、ホースマンブランドは映像の世界を含め、多面的な展開を行い、プロやアドバンスアマチュアにとっての欠かせない道具であり続けている。ここでは駒村商会 のこれまでの歩みと現在の戦略に関して、同社の駒村利之社長に話を聞いた。

駒村商会

http://www.komamura.co.jp/

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▲話を聞いた駒村商会の駒村利之社長。手前の家紋は、海外進出当時に知り合ったエアフランスの機長の住むピレネー山脈カタロニア地方の家紋で、ホースマンのロゴはこれをアレンジしたという

▲1960年代の初期に製造されたホースマン。左から「トプコンホースマン970」「ホースマンプレス」「ホースマンプレス試作機」(クリックで拡大)





●駒村商会の歩み

−−まず、設立当時のお話からお願いできますか。

駒村:駒村商会は1933年に京都で創業しています。私 の祖父が病気で倒れたとき、その5人兄弟の子供の上2人、1人は私の父で当時16歳、もう1人がその兄、私の叔 父が18歳の時に家計を何とか支えようと立ち上げた会社です。

祖父はもともと徳島の白川家の武士でしたが、 もう刀は持てない時代でしたので、近江商人の駒村家の婿養子になりまし た。祖父は墨絵が上手かったので刺繍作りの指図人、今で言うアートディレクターをやっていました。墨絵で描いた刺繍の下描きを職人さんに渡して、それでタペストリーや屏風などを作っていました。当時は神戸の商社に売って、それがヨーロッパで販売されていたようです。

父と叔父は最初、京都の賀茂川と御所の間辺りで、 写真の撮影を始めました。御所に観光に来る人たちの写真を撮って、それを紙焼きにして後で送るという商売で、当時の観光写真です。木製カメラにマグネシウムを焚いて、フィルム代わりにガラスにフィルムの乳剤を塗った甲板に撮っていた時代です。

それがそこそこ成功したので、次にカメラの小売店を始めます。叔父がコンタックス、ローライ、ライカなどの主にドイツ製のカメラの小売を始めたのですが、2人で同じことをしていても仕方ないと言うことで、私の父は満州に行き、樫村洋行(現 加賀ハイテック)という写真商社で働きました。そこでフィルムや感光材、現像用品などを扱いました。当時景気の良かった満州鉄道がメインの顧客だったようです。

余談ですが、私は小学校1、2年生の頃にブローニーのカメラを遠足に持っていった記憶があります(笑)。

−−撮影業から小売へ。事業が拡大していったのですね。

駒村:そして私は、第2次世界大戦の終戦の年に、出産のために帰国していた母親の九州の実家で生まれたのですが、父は終戦後満州からの引き揚げに時間が掛かり、父が戻ってきてから京都で叔父と一緒に商売を再開しました。父は東京で商品の仕入れを行っていた時期もあり、その後日本橋の箱崎に駒村商会の支店第1号店を作りまし た。ただ、私が小学校低学年の時に父の持病が悪化し、療養しなければい けないので、京都に戻りました。

私が小学校3年生の時に父が亡くなったのですが、叔父の小売店は好調で、小売から問屋業に仕事を拡 大していきました。当時はマミヤ、藤本写真用品の引き伸ばし機、ノーリツ鋼機などの特約店をしていました。コダックの西日本の代理店とし て、アンスコのフィルムなども扱っていました。

それと京都の市役所の横に現像所を作りまして、そこで太秦にあった大映京都撮影所の現像を一手に引き受けて、順調でした。

−−戦後の復興時期で、映画や写真といった娯楽が求められてた時期ですね。

駒村:そうですね、叔父が技術屋、父がビジネスという、良い組み合わせだったのですが、父が死んだときは、叔父 は相当大きなショックを受けたようです。

やがて1950年代の後半に、警察庁から当社に声が掛かりました。当時、警察の鑑識や報道カメラマンは、スピードグラフィック、通称「スピグラ」という4×5の大きなカメラを使っていたのですが、それが高価だったため国産化して小型化できないかという話をいただいたのです。そこで、技術屋だった叔父はこれこそやるべき仕事だと、エンジニアとともに一生懸命、国産カメラの開発に取り組みました。

そして開発資金を警察庁から前金で預かり、京都の島津製作所でホースマンの第1号機の試作を完成させました。それを警察庁で評価をいただき、量産化の際は東京光学機械(現トプコン)に製造をお願いしました。それが1958年の「ホースマン104」、金属製ボディのブローニーの6×9タイプでした。これは北海道から九州まで警察の鑑識に広く用いられました。

ホースマンの事業に可能性を見出した叔父は、これまでの問屋、現像所を止め、東京、大阪にあった自社ビルもすべて売却し、カメラの開発資金に投入しました。

そして1960年に、民間用の「ホースマン960」を開発しました。当初はなかなか売れなかったのですが、小西六写真工業にいらした 皇室カメラマンの方に使っていただいたことで「ホースマンは天皇陛下の写真を撮っている」という評判が立ち、日本全国の写真館に一気に普 及しました。そこでホースマンは写真館のためのカメラというポジションを確立できました。

−−鑑識カメラがホースマンの母体だったわけですね。

駒村:そして1968年に私が新卒で駒村商会に入社したとき、叔父に「おまえ、これを外国に売れ」と言われ、海外とのビジネスを開始しました。そこで私は、ドイツ製のカメラのカタログを片っ端 から翻訳し、またレンズの設計者や金属加工のメーカーの方にいろいろ学び、海外進出に向け準備を行いました。

当時は兼松工商さんが東京光学機械製のカメラの輸出を行っていたのですが、兼松さんに流通をお断りし、ホースマンは独自の販売ルートを確保していきました。これまでのお付き合いを断るため、頭を下げて回ることが私の最初の仕事でしたね(笑)。

当時の日本製品は、世界的に「安かろう悪かろう」の評価がありましたが、最初にホースマンの技術を評価してくれたのがフランスの代理店の方でした。フランスを足がかりにヨーロッパに進出していきました。アメリカは性能より価格重視だったので、技術屋の叔父はアメリカ市場をそれほど重視していませんでした。

−−当時の技術は海外製のカメラと比べ、遜色なかったのですか。


駒村:駒村商会は、フォトキナの出展回数がフジフィルムと同じなんです。最初の出展は1966年でした。その時小さなブースに製品を並べたのですが、来場者からは「ドイツの真似だ」とせせら笑われました。もちろんデザインも中身もオリジナル なのですが、それが当時の世界における日本製の一般的評価だったんですね。すべての日本メーカーはそう言われていました。そういった風潮の中でホースマンの技術を認めていただくのは苦労しました。

−−ちなみに駒村商会では35ミリカメラを開発、販売す る計画はなかったのですか?

駒村:まったくなかったですね。35ミリの国産カメラは 当時数え切れないくらい沢山ありました。四畳半メーカーから今のキヤノン、ニコンまでが参入していましたが、ほとんどのメーカーが淘汰されていきました。そういう競争の厳しい市場は狙わず、「人のやらないことを行う」というのが叔父の方針でした。

−−なるほど。その時点でコンシューマ製品より上の層を狙っていたわけですね。


駒村:国内は写真館、海外はヨーロッパを拠点にビジネスが軌道に乗っていきました。その頃、アメリカ市場にも売り込みに行きました。叔父にとってホースマンは自分の血と汗と涙の結晶ですから、アメリカ人に高いと言われると怒るんです(笑)。そのと きに学んだのは、やはり交渉は口先ではなくパッションだということです。「This is my soul, No Discount」と言うと、向こうは神妙に聞いてくれました。

−−情熱は世界中どこでも通じるものですね。

駒村:当時のマミヤの石田社長と叔父は仲が良くて、そんな熱い話をよく語り合っていました。余談ですがこの2人とドイカメラの土井君雄社長とが「大 中判カメラ普及協会」のルーツです。





▲現在のホースマン製品より「LD PRO」。アオリ、ステッチング、広角レンズが使えるデジタルバック専用ビューカメラ(クリックで拡大)

▲現在のホースマン製品より「VCC PRO」。キヤノン、ニコンのデジタル一眼カメラを装着し、簡単にアオリ撮影が行える装置(クリックで拡大)




▲現在のホースマン製品より「ISS-G3」。デジタル撮影に欠かせない電子シャッターシステム。1/10ステップまでの絞り設定など、正確な露出設定が可能(クリックで拡大)


▲現在のホースマン製品より「TS-pro」。シネカメラの前面に取り付けて、アオリ撮影を可能にするティルト&シフト・レンズコントロールシステム。効果的にボケ味をコントロール
(クリックで拡大)



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