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シグマは銀塩カメラの時代から、交換レンズの開発・販売で成長してきたメーカーだ。当初は低価格のレンズ専用メーカーのイメージが強かったが、15年前から国内生産にこだわる高性能レンズの開発に注力し、現在ではワールドワイドでシグマブランドを浸透させている。今回はレンズメーカーとしての歩みとともに、シグマが唯一搭載しているFoveonセンサーによるデジタルカメラの開発経緯や特徴などを同社経営企画室の桑山輝明氏に聞いた。

http://www.sigma-photo.co.jp/

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▲話を聞いたシグマ経営企画室の桑山輝明氏

▲創業時のヒットとなった2倍テレコンバーターの「Telemac 2x」



●銀塩カメラ時代のテレコンバーターからスタート

−−まずシグマの歴史と現状から簡単にお話しいただけますか。

桑山:シグマは1961年(昭和36年)にレンズメーカー、有限会社シグマ研究所としてスタートしました。ただ創業当時から、シグマはレンズ専業メーカーではなく、総合映像機器メーカーを目指してきています。創業者で現会長の山木道広は、もともと双眼鏡のメーカーの技術者でした。当時、カメラのレンズの倍率や焦点距離を上げるには、フロントコンバーターが主流でしたので、交換レンズのフィルターサイズに合わせたフロントコンバーターが必要でした。それはとても不便で画面周辺で収差がでてしまうということで、レンズとカメラの間に入れて用いる2倍のテレコンバーター「Telemac 2x」を開発・発明したのがシグマの第一歩です。テレコンを筆頭に、様々なレンズを開発していきました。フィッシュアイレンズももともとは、気象庁などの雲量観測に使われていました。

−−望遠やフィッシュアイなどの交換レンズの開発・販売は、純正の標準レンズを利用しているユーザーに向けて、その両端を攻めるという戦略ですか?

桑山:世の中にないレンズを出していこうというコンセプトです。写真はレンズの力に頼る面も大きく、今までにない焦点距離ができると今までにない写真が撮れます。新しい道具によって新しい写真表現が可能となります。例えば、一昔前は、山に登って写真を撮りたいけど、カメラはかさばるから、カメラと食料だったら食料を選ぶのが当たり前でした。そこで登山に持っていける小さなカメラや1本で広く使える広角ズームレンズを作ろうというような発想です。

その当時は、かなり面白い製品がたくさんありました。レンズの中に4種類のフィルターを内蔵して、撮影状況に応じてフィルターで対応させることができる「フィルターマチック」。それと被写体の大きさがわかれば事前にピントを合わせておくことができる「スケールマチック」。そして「パンテル(パンフォーカス・テレの略)」といった望遠でも最小絞りをF64に設定できるので、被写体深度を広げて、ある距離から無限遠までピントが合っているように見えるレンズなどですね。それと1本のレンズをマウントを換えていろいろなカメラで使える「YSマウント」などもマニュアルフォーカス時代は作っていました。

創業当時、レンズメーカーとしては当社が最後発でした。その頃はカメラブームで、どこも業績は好調だったと聞きますが、現在まで残っているメーカーはほんの一握りになってしまいました。

−−ズームレンズはシグマさんが最初だったんですか?

桑山:それは、最初ではないですね。ただ、超広角ズームは当社が最初かと思います。1979年に初の広角ズームレンズ『21-35mmF3.5-4』を開発・発売しました。当時は、単焦点レンズで21ミリ、24ミリなどがありましたが、その焦点距離を網羅するズームレンズはありませんでした。その後、当社は、最新のテクノロジーを搭載した超広角レンズを他社に先駆け開発し、超広角レンズのパイオニアであり続けています。

−−ボディのプラットフォームは全メーカー対応ですか?

桑山:基本的には、世の中に出ているカメラに対応するレンズは作ろうという方針ですので、現在の一眼レフマウントに加え、Eマウント用やマイクロフォーサーズシステム用の交換レンズも開発してまいります。

●シグマが生き残った理由

−−かつて50社ほどあったレンズメーカーが淘汰され、その中でシグマが残っていった理由は何だと思いますか?

桑山:技術開発に注力し、常に最先端の技術開発に取り組んできたこと、独特で他社にないユニークな製品を開発し続け、交換レンズの世界を広げてきたこと、製造の内製化にこだわり、高品質で低コストの製造技術を会得してきたこと、です。当時は写真を撮るには高度な技術が必要で、きちんと写すこと自体が大変でした。そこで撮影そのものを楽にしようということで、自動絞りが登場しました。まずそれに対応できなかった会社は業界から去っていきました。
続いてオートフォーカスの登場です。1985年にミノルタからオートフォーカス一眼レフカメラの第1号機「α-7000」が登場し、その後、各社からもオートフォーカス一眼レフカメラが登場しました。オートフォーカスのシステム自体が各社それぞれ違うので、それに対応できるかどうかで明暗が分かれたようですね。技術革新に対応できない会社は淘汰されたのかなと思います。

−−シグマがカメラシステムの技術革新に対応できたというのは、体力、生産力、技術力があったということですか。

桑山:カメラの世界は未だに海外勢が入ってこれない、日本が誇る産業なんですね。それはデジタルではなくアナログ的な要素が多いからです。きちんと写るレンズを設計するには、技術の蓄積が必要なんです。あるレンズを設計したときに手に入れた技術を次の製品に応用してさらに進化させる。そんな地道な作業がレンズ作りといえるので、いきなり優れたレンズを作ることは、まずできません。シグマは福島県の会津地方に一環生産工場があり、そこにノウハウが蓄積しています。

−−確かに、オートフォーカスを搭載し一眼レフカメラが使いやすくなって一般に広がる頃からシグマさんのレンズの知名度が上がった覚えがあります。

桑山:当時はまだ、どちらかというと安売りのレンズメーカーというイメージが強かったと思います。カメラ本体にレンズ2本付きのセット販売を始めたのが当社でしたので。

当社の強みは、各社のカメラに対応した交換レンズを生産するので、生産量が多く、量産効果があるため価格を抑える事ができるのです。例えば、革新的なレンズが生まれても、それが1本100万円では多くの方に使っていただけません。それを量産効果によって、ユーザーの方々にお買い求めいただけるような価格にすることが可能なのです。

−−確かに昔は安売りのイメージもありましたが、現在は払拭していますね。

桑山:バブルが崩壊して円高になったときに、日本企業がどんどん海外に工場を移した時期がありました。そのとき2本セットの販売だけでは企業として生き残れないと考えていました。実は、レンズの生産は機械による自動化ができず、手作業の工程が非常に多いんです。シグマは国内生産ですから人件費がものすごくかかるんですね。その頃から、クオリティ重視の製品開発にシフトしていきました。

ターニングポイントは1995年ですね。その後ダブルズームなどの2本セットの販売は減少していきました。

ちょうどその頃(1993年)に現在のデジタル一眼レフカメラSDシリーズの礎になるオートフォーカスフィルム一眼レフカメラ「SA-300」が誕生しました。同時に当社独自のAFマウントである「シグマSAマウント」が誕生しました。
カメラの製造は、創業当時から考えていたことで、このオートフォーカス一眼レフカメラの誕生が後のデジタル一眼レフカメラSDシリーズの開発につながっていきます。




▲レンズの中に4種類のフィルターを内蔵した「フィルターマチック」



▲望遠でも被写界深度を広げるレンズ「パンテル」


●国内生産にこだわったモノ作り

−−ちなみに、各メーカーの生産拠点が海外に移っていく中で、シグマが会津工場にこだわる理由はなんですか?

桑山:蓄積した技術が外に流出してしまいますし、ノウハウは物理的にその場所で蓄積されていく面もあるので、1点で集中して総合的な技術力を上げていく事を選択しました。会津の人達は、真面目で細かやかな仕事を行ってくれます。それに工場を維持し、雇用を維持し続けることが企業の使命であり、地域社会に対する責務と考えています。

−−会津を工場に選んだ理由はなんですか?

桑山:まず、土地が広く取れること。工業製品なので水が必要になります。水を大量に使用したときに地盤沈下しないこと。そして会津の方の人柄で選んだようです。従業員は地元の方になりますから。

−−実際のモノ作りの流れは、本社で企画・開発をして、製造は会津でやるんですか?

桑山:製造は会津で行いますが、製品開発は本社と会津の両方で行っています。

−−デザインや設計はCADですか?

桑山:そうですね。

−−レンズ作りに独自のノウハウってあるんですか?

桑山:レンズ設計には「これだ」っていう解があるわけではありませんが、設計者独自のアプローチがあるようですね。こんな組み合わせにするとどんな風に写るのかとコンピュータでシミュレーションを行います。現在は、演算速度が速いコンピュータがあるので、開発スピードが速くなっていますが、コンピュータの無い時代はとても大変だったと聞いております。

−−ユーザーターゲットというか、シグマのレンズを選ぶ人はどんな方が多いですか?

桑山:現在は初心者の方より、写真好きのコアユーザー、プロやハイアマチュアの方が多いですね。

−−シグマのレンズはどういった点が評価されていると思いますか?

桑山:他社にない製品等、ラインナップが豊富で性能が良いところが評価されているのでしょうか。当社が当時世の中にない超広角ズーム21-35mmを発売したのように、現在でもフルサイズ用の超広角ズーム12-24mmF4.5-5.6やAPS-Cサイズデジタル一眼レフカメラ専用の超広角ズーム8-16mmF4.5-5.6や円周魚眼レンズの4.5mmなどは、当社にしかありません。その他サンニッパの大口径望遠ズーム120-300mmや50-500mm等の超望遠高倍率ズームなど他社にはないラインナップも豊富です。

また、光学性能につきましてもデジタルの時代になり、多くの方に評価をいただいております。それは、先ほど申し上げた1995年以降から取り組んだクオリティ重視の開発が実を結んだ結果かと思います。うれしいことにシグマブランドだからって選んでもらうことも増えてきましたね。また、フィルム時代に当社のレンズは逆光に弱いと言われていて、それが本当に悔しかった。中にはどのレンズでも起こってしまう現象でも「シグマだから起こった」って言われてしまうのが辛かったですね。そこでいろいろな調査や開発を始めて、現在では、逆光に強いメーカーになったと自負しています。

−−広角レンズは建築には欠かせないといわれていますが、12-24の広角レンズはどういった利点がありますか?

桑山:歪みが非常に少ないレンズですね。そこが評価をいただいているところでもあります。ただ、このレンズは非常に製造が難しい設計をしているので、生産はとても大変だと聞いています。設計者が工場に行くと、石を投げられるそうですよ(笑)。



▲超広角ズームレンズ「12-24」(クリックで拡大)

▲望遠ズームレンズ「120-300」(クリックで拡大)

▲10倍の望遠ズームレンズ「50-500」(クリックで拡大)


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