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青山裕企
1978年愛知県名古屋市生まれ。筑波大学第二学群人間学類(心理学専攻)卒業。主な作品に、「ソラリーマン」、「スクールガール・コンプレックス」など。2007年キヤノン写真新世紀、優秀賞(南條史生選)、トーキョーワンダーウォール入選など受賞多数。
http://yukiao.jp/
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取材協力:アドビ システムズ 株式会社 |
Profile & Works
▲空跳人(ソラトビビット)より「JUMP EXPO 2005 #9」。2005年(クリックで拡大)
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▲ソラリーマンの2006年の作品「SOLARYMAN -Takashi Suzuki-」(クリックで拡大)
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●写真は直感ではじめた
−−まず、写真家になられた経緯からお話しください。
青山:もともと僕は、写真に興味はありませんでした。進学校で勉強ばかりしているガリ勉タイプでした。カッコいいわけでもなく運動もできなくて、勉強以外に打ち込めることが何もない自分のことを空っぽだと思っていました。それで、心理学を勉強すれば、人の心も自分の心も分かるようになるんじゃないかと思いまして、心理学が幅広く学べる筑波大学へ進みました。でも、環境が独特で、強い意気込みで心理学を学ぼうと思っていたのですが、学生生活になじめずに休学しました。
その頃、僕はいつも「自分は将来何をして生きていけばいいのだろう?」って考えていました。ある日、本屋さんで見つけた「自転車旅行をはじめよう」という本がきっかけで、唐突に、自転車で日本を旅しようと思ったんです。その下地になっているのは、運動ができないことへのコンプレックスだったんです。子供の頃ってスポーツができるかどうかが大きなウエイトを占めていますよね。だから、勉強はできるけど、モテないし、自意識が強くなって、うまく自分を表現できない、それ以前に表現する自分もないみたいに考えてしまって。自力で自転車で日本を周れたら何か変われるかなって思いました。まさに、自分探しでした。
それで、旅が始まるとこれまで見たことのなかった雄大な自然や地平線の景色を目の当たりにして、純粋に感動して、ちゃんとしたカメラで写真を撮ってみたいなって思ったんです。ひらめきというか、直感でした。それが1998年のこと、20歳でした。
日本の旅を終えて、今度は海外を旅しようと思いました。そのためには、貯金もしなければならないし、旅から戻ったら、次は友達を撮りたいっていう気持ちも出てきたので復学しました。
旅先では、自分で跳んで撮ってたんです。それは後に、「ソラリーマン」という作品につながるんですけど、友達も撮り始めたら面白くて、撮った写真をプレゼントしたり、学園祭や路上で売ったりしてました。
−−いきなりポジティブになってますね(笑)。
青山:自転車の旅で、自分自身が一変したんですね。修行のつもりでやっていたので、すごく達成感がありましたし。運動が苦手だからこそ自分の足でペダルをこいで周ることで、コンプレックスを打ち砕くことができたって。
−−旅に持って行ったカメラは一眼レフですか?
青山:いえ、ただ押せば写るようなコンパクトカメラです。だけど、旅の途中でニコンの一眼レフカメラを買いました。
●将来を決めるための世界2周
−−それまでに写真の勉強をしたことはあったのですか?
青山:まったくありません。大学の頃は、独学で部屋に暗室を作って写真を焼いたり、本を読んで勉強したりはしました。
写真は趣味として楽しくやっていたけど、将来どうしようっていう不安が常にありました。それで、2年間かけて世界を2周しようと計画を立てました。なぜ2周かというと、2周するなかで自分の将来の道を必ず見つけるって決めたんです。まず1周目は「人見知り克服」がテーマで、英語すら通じない国を選んで線で結び、なるべく陸を移動しました。
−−海外も自転車で周ったのですか?
青山:いえ、そこまでの自信はなかったので、バックパッカーとして周りました。モンゴルやロシアでホームステイしたりしながら。まさに修行という感じなんです。「人見知り克服」というテーマはあっても、やっぱり現地では風景写真ばかり撮ってしまって、なかなか現地の人に声を掛けて撮ることは難しかったですね。それでも、自分なりに外国の人たちと交流しながら自身を鍛えて、1周目を終えたとき、新たな達成感はありました。
−−そしてもう1周?
青山:半年働いて半年旅することを2年間続けました。2周目は「自分の将来の決定」がテーマだったのですが、旅先での充実感はなかったですね。行っている国は1周目と違うけど、やっていることは1周目と同じようなもので、新しい街に着いたら宿を探して、ガイドブックを見ていろいろ周るというパターン。自分の将来を決めるという目標はあっても、1周目の「人見知り克服」の旅とは違って、同じようなことを繰り返すだけで、果たして将来が見つかるのだろうかと思えてきて。
−−2周目の意味が失われてしまった?
青山:旅に出て3週間くらい経ったある朝、シャワーを浴びていたときに小窓から朝日が差してきて、唐突に「写真の道で生きていこう」と決意したんです。当時はお告げだと思っていたけど、後々いろいろ考えると、大学で情熱を持って取り組んでいた写真から、旅することであえて遠ざかること自体が、ある意味修行だったのかなって。終わりなき旅に終止符を打つためには写真の道に決めるしかないみたいな感じでした。世界2周に出る前には、写真にとにかくハマっていて、仕事にできたらいいなと思っていたのですが、覚悟ができなかったんですね。自分の将来を決められたので、2周目は途中で止めてすぐ帰国しました。
●いきなりフリーカメラマンに
−−旅の目的も果たせましたね。
青山:そうですね。それからは写真一筋です。大学も残り2年ありましたが、写真の専門学校にも通い始めて、両方を同時に卒業しました。
卒業後はフリーです。作家志向だったので、スタジオマンをやったり、師匠についたりすることもしなかったですね。僕が通った「東京写真学園」という学校は、フリーのカメラマンになるためのノウハウをいろいろ教えてくれて、スタジオマンを経験しなくても、スタジオワークができるようになれる授業でした。とはいっても、もちろん最初はまったく仕事がなくて、ただ名刺を作ってカメラマンって言い張ってるだけでした。
−−当時好きな作家とか目指したい写真家とかはいらっしゃいましたか?
青山:当時ですと、佐内正史さんとか、野口里佳さん。野口里佳さんは今も好きですね。
−−撮りたかった被写体は、人物だったんですか?
青山:自分の興味というのは、心理学を専攻してるように、人であり、自分であり、相対する人だということに、友達を撮るなかで気付いたんです。それまで自分は人見知りだし人と接するのが苦手だと思ってたけど、実は人が好きだったんだなって。これまでは、好きだけど、どう接すればいいのか分からなかったのが、カメラを通せばうまく接することができることに気付いたんです。だから人を撮るのが好きなんです。僕にとってカメラはコミュニケーションツールだったんですね。
▲ソラリーマンの2008年の作品「SOLARYMAN -Koichi Sato-」(クリックで拡大)
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▲ソラリーマンの2009年の作品「SOLARYMAN -Toogo Irie-」(クリックで拡大)
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●記号的な存在を撮る
−−フリーになられてからはどんな活動をされていたんですか?
青山:2005年にフリーになってからは、少しずつ写真の仕事をしながら、ギャラリーなどで展示活動をしていました。2006年に、現在の中心的作品となる「ソラリーマン」と「スクールガール・コンプレックス」を撮り始めました。
−−サラリーマンや女子高校生をテーマに選ぶのは何か理由があったんですか?
青山:スーツや制服という、その人の個性を覆い隠してしまう記号的な存在に興味があったからだと思います。「ソラリーマン」は、スーツを着ることで記号っぽく見えるサラリーマンを、ジャンプさせることで個性を引き出そうという作品です。サラリーマン一筋で生きてきた父親が亡くなったことがきっかけになっています。
−−フリーで作家性のある写真を撮りながらも、食べていかなきゃならないですよね。どうやってお金を稼いでいたのですか?
青山:はじめの頃はアルバイトをしていました。普通は、出版社に電話したり営業をガンガンすると思うんですけど、どうも恥ずかしくてできなかったんです。まだ自分の作品に自信がなかったり、作家性のある写真を撮ってるがゆえに、見せても商業的な仕事をもらえないんじゃないかとか思ったりして。だったら仕事がくるような写真を撮らなきゃいけないんですけど、やはり仕事を得るための写真はなかなか撮れなかったんです。
そういうときに、展示を頻繁にやっていたのは、営業はできないけど、展示だったらいろいろな人が来てくれるし、そういう形から何かが広がるかもしれないし、仕事をくれる人もいるかもしれないって。自分で釣堀を開いて、魚が釣れるのを待っている感じですね(笑)。
●思春期のコンプレックスを思い出して
−−最初、「スクールガール・コンプレックス」を拝見したときに、高校時代に憧れの女子を廊下の片隅から覗くような目線を感じました。これは当時の気持ちの再構成ですか?
青山:まさにそうですね。このテーマは実は「変態」をテーマにしたグループ展がきっかけだったんです。今までは友達とかサラリーマンが晴れた空の下で跳んでいる写真を発表していたので、ポジティブで爽やかなイメージでしたけど、今度は思いっきり違う写真を撮ってみようと思いました。
それで、いろいろ考えを膨らませたときに、自分の高校時代を思い出したら、まったくモテなくて、一人っ子だったし、同世代の女の子に触れることもなかったんですね。もちろん童貞でした。同じ教室に同い年の女の子がいて、すごい見たいけど、じっと見れなくて、目が合ったらすぐそらすみたいな…まさに悶々としてましたね(笑)。
−−人気のあるスポーツマンの男の子が女の子の肩に手をやったりとかね。そういうのが羨ましい年頃ですよね(笑)?
青山:僕には無理だろう…みたいな(笑)。女の子に対して思春期ならではのいやらしい気持ちで見ながらも、未知なる女性に対して、神聖な存在というか、イノセントな気持ちで妄想を繰り広げていたなっていうのを思い出して。この気持ちを作品にできたらいいなと思って撮り始めたんです。だから、女の子の顔を入れずに、いつまでも凝視して妄想が広がる作品にしたかったんです。
−−顔を入れるとリアル過ぎるのでしょうか?
青山:そうですね。思春期の頃の気持ちというのは、大人になると色あせて、女の子の顔も忘れてしまうこともありますし、当時、じっと見てた女の子とは目を合わせていないので、顔はあまり見ていないんですよね。
●類書も登場するほどのブームに
−−「スクールガール・コンプレックス」と同様のテーマって、ありそうでなかったですよね?
青山:うーん、そうかもしれないですね。よくフェチ写真ってジャンルとして見られるけど、こういった切り口を深く追求していた作品はなかったかもしれないですね。
−−ベストセラーとなった「スクールガール・コンプレックス」には類書もいろいろ出ましたけれど、ご自身はどう思いますか?
青山:たまたま先日、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の編集の方とお話しする機会があって、あれも類書がたくさん出たので、どうですか?って聞いたら、最初は嫌だったけど、自分がパイオニアであれば、類書が出るたびに自分の本を中心に書店で展開してくれるのでありがたいと思えるとおっしゃっていて。
それを聞いて腑に落ちたというか。あくまで自分の道を究めていこうって。もちろん類書は意識してなくはないですけど。「スクールガール・コンプレックス2」を出すときも、自分自身の前作を超えたいって思って作りました。ただやはり写真集のコーナーにまるでエロ本のような類書が置かれている現状には、胸を痛めています。
−−類書はもっとエロエロですよね(笑)。
青山:そうですね。逆に「スクールガール・コンプレックス」よりエロくないものが出たら、それはそれですごいと思いますけど(笑)。
−−青山さんは写真新世紀受賞作家ですが、一般には写真集の大ヒットによって認知された作家というイメージですよね。
青山:そうですね。流れで言うと、2006年に「ソラリーマン」を作り始めて、2007年に「スクールガール・コンプレックス」で「キヤノン写真新世紀・優秀賞」をいただきました。2008年にそれぞれの個展をやったところ、たまたま別の出版社の2人の編集者の方にそれぞれ本を出しませんかということになって、2009年11月に「ソラリーマン」を、2010年7月に「スクールガール・コンプレックス」を刊行できたという経緯です。
※次ページでは、Lightroomを中心にした青山氏の写真のワークフローを聞いていこう。
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